2021.7.14

昔の自分の日記読んでて、傷つかないようになりたいって書いてて、別に傷ついてもいいよって言ってあげたい。物語だと、理不尽な扱いをされたときに言い返したり、なめてた人が実はすごい人でしたって展開あって、それは物語としては面白いし、なめてた奴らざまあみろと思う。こういう展開に昔はすかっとして、憧れてもいた。でも、傷つかないことだけが強さではない。私は打たれ弱いし、根に持つし、端からみたら些細なことをいつまでも引きずる。傷つかないことが強さだと思っていた時は、自分のこの性格が嫌いだったけど、別に傷ついてもいいやと思えるようになってからは、好きにはなれないけど、性格なので仕方がないとは思えるようになった。一時期自分を否定してばかりいた。仕事はぱっとしないし、社交性もないし、友達も少ないし、結婚もしてないし、子どももいないし、世間でいいとされる価値になんもかすっていない自分が嫌いだった。そうなろうと必死だった数年は、今思えば無駄もいいとこなんだけど、努力の方向が間違ってたんだけど、頑張ってしまったんだよ。内向的という資質を知れたことも大きかった。自分が世間でいいとされている人物に変わらなくてもいいのかもしれないと思った。そう思ったら楽になった。早く気が付いてあげたかった。

「プロミス・シンデレラ」を見た。壱成みたいな性格ってもう古くない?早梅は頭の回転早いし、言葉の使い方も上手いから、壱成がゲームするなら居候させていやるって言ってきたとき、考える時間が欲しいって言って、その間に壱成の住所使って仕事探して出ていくってできそうだな、壱成は丸め込めやすそうだなって思った。あと、女性がホームレスになるってことの恐怖とかが全くなくファンタジーだった。壱成が祖母の悦子に頭上がらなくて、悦子は壱成に対してまともなこと言っているとおもいきや、早梅に孫の遊びに付き合ってあげてねって、リアル人生ゲームのこと承知しながら言うの、まともじゃなくていいキャラだった。「八百屋のおやじにはげって言って30万」って、やることの難易度と金額が比例していなくてどういうことなんだろう。八百屋のおやじは何かの伏線?早梅がやられる一方じゃなく、壱成に言い返すところ見て、最初に書いたことを思ったわけ。これだけはっきりものが言える早梅が夫には何にも言えないのも不思議。あと、夫の不倫相手ってあの芸者さん?夫が井之脇海で、こないだまで学生服着てたのにってびっくりしちゃった。意味のないスローモーションの使い方がいまいちなじめないけど、2回目も見てみよう。

中国で「ダンピン」と呼ばれる人たちが増えているとラジオで聞いた。「ダンピン」を日本語にすると「寝そべり族」。超競争社会、超ポジティブ社会の今の中国で疲れてしまった若者が、ダンピンしているという。中国では経済成長が著しいがその恩恵にあずかれない若者たちが、一生懸命働いても努力しても報われない、結婚して家庭を持つにも土地や物価の上昇でお金がかかると、物欲もなく何もしないことを選択している。日本でも今の若者は車やブランドものにお金を使わないと言われているし、韓国でも資本主義社会に疲れた人に対して、頑張らなくていいというような内容のエッセーが多く出版されている印象だ。「ダンピン」には共感の声があげられているという。競争、努力、成長。私は若者じゃないけど、疲れる。何もしないことも、ひとつの意思表示だよね。でも、何もしないことに罪悪感も覚える。まだ自分の中にあるね、なんていうの、こういう成長しないといけない、成長できないのは努力が足りないからだみたいな思考が、残っているね。前に仕事を安請け合いしたのも、この思考のせいだと思う。

021.7.13

書くことで救われているけど、ぐるぐるがなければ書かないのなら、そもそもぐるぐるがない方がいい。人生からぐるぐるがなくなったら、楽になるんだろうか、それともないことが逆に不安になるんだろうか。元々なければ逆にもなにもないけど、付き合いも長くなってきたからさみしくなったりするんだろうか。書くことがないと、日記を開いたけど、ブログを書くを開いたけど、進まない、白いままだと、自分が取るに足らない人間に思えてくる。書きたい感情も、考えもない、そもそも自分のそれが分かっていない、空っぽな人間に思えてくる。ぐるぐるによって空っぽじゃないと、何かしらあると思えているなら、ぐるぐるに感謝しないとだけど、やってきたらやってきたで憂鬱。ないと楽だけど、長い不在だと不安になってくる。自分でもめんどくさいけど、仕方がない。

自分の趣味は本を読むだけ、映画を見るだけで、消費するだけだなと思う。自分でそれらを作るとか、二次創作するとかない。学生時代に読んだ漫画で、創造性がないと悩む女子大生に、女友達が「女の創造性なんて子どもを産んだらお釣りがくる」みたいに言うんだけど、その時はふーんと思って読んでいたけど、今思い出すと、なんだそれとは思う。女は子ども産んでればいいって聞こえるし、人の創造性は多様だよね。実用的な趣味があればいいのにと思ったこともある。料理とか、修理とか。でも料理が趣味でも、毎日作るとなると、あれは別なのかな。そういえば、ほど料理をしなくなって、冷蔵庫小さいのに買い換えようかなと思っている。引っ越した当初は作り置き作ったり、お弁当も作っていたけど、もう作らないからもう一回り小さくてもいいかなと思ってきた。引っ越した時に家電を同時に買いそろえたら、壊れるのも同じ時期だと聞いたことがある。それだと金銭的に困るから、そろそろ考えておかないとと思っていたところ。部屋が整わない。ハンガーラックとか本棚とか探しているけど、なかなか見つからない。本を売ったので少し部屋はすっきりした。けど、手を付けないといけないところは、別のところにある。分かってるんだけど、やりたくない。

まだ火曜日であるという絶望。もう無理ではないか。

2021.7.12

先週末もまた2日間とも出かけた。土曜日は母親と出かけて、昨日は映画を見に行った。家にいるとつい横になってしまうから、出かけた方がいいなかと思うんだけど、出かけるとお金を使うね。将来が不安だから貯金をしないとと思っているので、あんまり使わないようにとは思っているんだけど、全く無駄なものを買わないのもつまんない。親が10年後に死ぬって言ったら、聞いたときはいいんじゃないかと思ったけど、いざとなったら受け入れられるかは分かんないな。考えると憂鬱だな。女性が自分の親が老いていくのを書いたエッセイとか読んでたけど、その時はまだ自分も若くていずれこういうときが来るのかなって思っていただけだけど、いざそうなってみると、なかなか辛いものがある。今「100分で名著」がボーヴォワールの「老い」で、見てるんだけど、ボ―ヴォワールはなかなか辛辣。

セールも始まっているので、久々にリサイクルショップじゃない店に見に行った。見ているのは楽しいけど、さすがに値段見ると買えない。気になったのもあったけど、気後れしてしまい、試着もできなかった。

気持ちがいまいちすっきりしない。これが後何年続くんだろう。この、すっきりしない気持ちで過ごすことに慣れていかないと。すっきりしないからやる気もでないとか、すっきりしないからあれもできないこれもできないじゃあ、しょうがないもん。どうにかこうにかしていかないと。週末にブックオフの買取頼んで時間指定で取りに来てもらったんだけど、時間に結構幅があるからいつくるか、トイレ入っても大丈夫かとか、洗い物してもいいかなとか必要以上に不安になってしまった。トイレ入っててもはーいって叫べば聞こえるんだから問題ないんだけどね、この日は妙に不安になってしまった。宅急便とかは最近宅配ボックスに入れてもらったり、玄関前に置いていってもらっているから、時間指定して家で待っていることがなくなった。だから久々で、そのせいかなと思った。なんだか、それが続いてる感じ。考えたって仕方ない。権外もいいところ。

出かけた方が気が紛れるんだけど、オリンピック始まったら出かけらんないな。この4連休は人の動きが多そうだし、いくら無観客でも選手、関係者、記者

とかの動きはあるわけで、仕事以外は出ない方がいいかな。図書館も再開して本も届くし、あ、でもユーネクストの無料体験が連休前に終わってしまう。

2021.7.11

「82年生まれ、キム・ジヨン」を見た。感想にはネタバレがあります。

ジヨンは、夫と2歳の娘と3人暮らし。夫の実家への帰省中、ジヨンは突然義母に「奥さん、私の娘も実家に帰して下さいよ」と語り掛ける。女性の生きづらさを書いて大ヒットした本の映画化。

私も原作読んだ。映画は原作とは真逆の作品になっている。原作は、夫以外の男性の名前が出てこなくて、夫も影が薄い。淡々とした文章は、ラストでジヨンが精神科医に話していた作りだと分かり、ずっと話を聞いていた精神科医(男性)ですら理解していなかったという絶望が書かれている。小説だからできる表現を楽しめた作品だったが、それをどう映像化するのかと思っていたら、夫はコン・ユでめちゃめちゃ存在感あるし、精神科医は女性で、ラストは辛いこともあるけど理解ある夫と協力して頑張っていこうみたいに終わった。これは、キム・ジヨンを映像化する意味があったのか。夫の苦悩を書いたことと、希望を書いたラストがこの作品を平凡なものにしていると思う。夫の苦悩は分かるよ、突然妻が憑依したら、そりゃ大変だよ。でも、「突然」って書いたけど、本当に突然かな。夫は、一見理解のあるような物言いをする。夫の実家への帰省にジヨンが気が進まないのが分かっているのでやめようと言うが、それは今までジヨンが言ってきたことで、聞く耳を持たなかったのは夫だ。ジヨンが義母からの早く子供を作れというプレッシャーに悩んでいる時は、じゃあそう言われないように早く作ろうとのたまう。子どもを持ったら女性の人生は変わる。ジヨンは仕事が好きだが、子どもがいると大変なことはチーム長を通して書かれている。だから悩んでいるのに夫は早く作ろうとしか言わない。このシーンではコン・ユが甘えた感じでベッドの上のジヨンに迫り、夫の言動をかわいらしいものとして描いている。ジヨンもかわいらしいものとして受け入れるように困った顔で微笑む。後半、精神科医に行ったというジヨンの話を夫が泣きながら聞くというシーンがある。この時ジヨンは夫の手を握る。結局男の甘え辛さを女が受け入れるという構図になっている。泣きたいのはジヨンだよ。

「ママ虫」という言葉が原作でも映画でも出てくる。「ママ虫」とは、夫の稼ぎに寄生して楽をしている(ように見える)主婦を指す悪口。原作ではこれを言われたことがきっかけでジヨンは精神的に追い詰められていく。映画ではまず、最初の方で公園のベンチで娘をあやしながらコーヒーを飲んでいるジヨンを見た数人のスーツ姿の男女が、気楽でいいな、俺も結婚しようかなとふざけて言うシーンがある。そして、終わりの方でたぶん同じ人たちが、混んでいるカフェで会計中のジヨンの少し後ろで並んでいる。ジヨンがコーヒーを受け取ると、足元で娘がぐずり、ジヨンはコーヒーをこぼしてしまう。ここで迷惑に思った彼らがジヨンに「ママ虫」と言う。ジヨンは、私のことを何も知らないのにどうして決めつけるのかと言い返す。最初のシーンとの対比で、ジヨンが強くなったことを表したいのかもしれないが、当事者にそこまで背負わせるなと思った。別に強くならなくていいじゃん。「ママ虫」というのは言われた相手を深く傷つける言葉だ。原作では言葉の持つ残酷さとそれを人にむけることへの批判が読み取れるが、映画では強さを書くためにそこが薄れてしまった印象。やるなら、両方のシーンで「ママ虫」を使った方がよかったのでは。でも、ジヨンにだけ強さや変化を求めるのはやっぱり間違ってる。ジヨンをこれ以上追い詰めないでほしい。

学生時代のジヨンを痴漢から守ってくれる女性がいる。映画「はちどり」では、ウニを診察した医師が、ウニが暴力を受けていることに気が付き、診断書の話をしてくれる。こういう大人になりたい。

2021.7.10

母親と久しぶりにご飯を食べに行った。母親も年を取ってきたなと思った。食も細くなったし、隙あらばベンチで座って休もうとする。そうだよね、私も年を取るはずだ。母親の年を感じると、さみしくなってくるな。仕方ないことなんだけどね。洋服買いたいというので、大きめのスーパーに行った。小学校の頃から母親とは行っていたので、当時と同じ店もあれば、変わった店もあって、懐かしくなった。母親は洋服買って、私は買い換えようかなと思ってたスポサンがバーゲンになっていたので、買った。今まで持っていたのは3年前に買って、色は黒。初めて買ったスポサンで、勝手にスポサンは歩きやすいものと思っていたんだけど、結構疲れる。しかも金具がちょうどくるぶしにあたって痛くて、絆創膏がかかせない。新しく買ったのは、底が足裏にフィットするし、金具はあたらないし、色は明るめのカーキー。コントラストがない方が自分には似合うとわかってから、黒の服はなくして、小物もできれば黒をなくしたいなと思っていた。唯一の黒の小物がこのスポサンだったので叶ったよ。

スーパー近くのカフェでコーヒー飲んだ。レモンケーキが好きなので、あると必ず頼むんだけど、ここのケーキはめちゃめちゃ甘かった。母親はコーヒー飲めないので抹茶ラテを飲んでいた。母親は数年前から断捨離してて、私が実家に残していった服や靴をどうするのか、見に来いと迫ってくる。やらないとな。母親があと10年生きると思う、10年たったらもういいかなと思って、死のうと思うと言い出して、自分も両親いなくなって貯金もなくなったらそうしようかなと考えていたので、親子は考えること同じだなと思って聞いてた。そうか、いいと思うよって言った。別に本当に死にたいわけじゃないんだけど、先のこと考えると不安になるから、いざとなったらその選択肢があると思うと、まあそれまで生きようかなと思う。

帰ってきたら、憂鬱になって本を読む気にも、映画を見る気にもならず、横になって1時間くらいうだうだしていた。親が老いていくのを受け入れるのは大変ね。

2021.7.9

朝ラジオ体操しているけど、夜にももう一回やろうかな。最近、平日の夜横になることが多くなってきた。よくないなと思いつつ、横になっていると楽なので横になってしまう。一度横になると、全部がめんどくさくなる。元々めんどくさいお風呂がさらにめんどくさくなる。せめて寝ながらできる筋トレでも緩くやろうと思ってやる。えらい。中年になってきて体が硬くなってきた気がする。ラジオ体操の前屈とか、両足を開いて片方の足の方に身体を曲げるのとか、前よりきつくなってきている。あとは、腰痛。仕事中座っていることが多いから、行きたくもない仕事で腰を痛めるなんて本末転倒もいいところだ。だって、それで映画館での映画が楽しめないんだもん。前は3,4本映画梯子しても問題なかったのに。今の年齢のまま身体だけ若くなりたい。痛くない腰がほしい、体力が欲しい。考え方とか感じ方は今のままがいい。昨日書いた不義理とか若い時はしていたから、反省をした今の自分がいいんだけど、身体機能だけ若くしてほしい。前に会社の人と、今の考えのまま若返って人生やり直したいねって話したことがある。ただ若返って人生やり直しても、おんなじこと繰り返しそうだから、考えだけ今のままがいい。まあ、今から人生をやり直すしかないんだけど、昔読んだ漫画で「月に行きたいと思ったら、思った時点で半分できている」ってセリフがあって、映画のキム・ジヨンでも精神科に行ったジヨンに医者が「ここに来た時点で半分治ってる」みたいなこと言うんだけど、その半分がね、大変なんだ。

セックスアンドザシティーはシーズン6に入った。シャーロットにはハリーみたいに、彼女の細かい部分も受け流してくれる人が合いそうだなと思っていたら、そうなった。シャーロットってフルタイムの仕事見つかったんだっけ?やっぱり家を持っているって強いな、お金に困った様子ないもんね。キャリーはバーガーと付き合い始めたけど、キャリーは穏やかな付き合いだとエイダンのときと同じ不満を抱きそう。ところで、エイダンの子どもは彼の子どもなの?ミランダの子と同じくらいの年齢に見えるんだけど。ミランダはスティーブを好きだと自覚したけど、彼には恋人がいると。サマンサはリチャードと別れ、以前のように性生活を楽しんでいるけど、もう恋人は作らないのかな。このシーズンでドラマは終わって、次は映画。映画は評判悪いみたいだけど、ここまで見たら見ようと思う。映画では40代になっているのかな。中年になって中年女性が主役の物語が見たいのに、少ないからね、見たいのよ、40代女性が主役の物語。

2021.7.8

同世代の転職が決まったと聞いて、また落ち込んでいる。いいな。自分の悪口書こうと思えばいくらでも出てくる。やめておいた方がいいのは分かってるんだけど、よし、やっぱりやめた。私にだっていいところはある。うらやましいな。転職したかった。頑張ったつもりだったんけどな、うまくいかなかった。

先週の「オーバーザサン」聞いた。不義理について。耳が痛い。痛いよ。絶対してきた。付き合いの長い友達が少ないのは自分のこのせいもあると思っている。中年になって気が付くね、あの態度は失礼だったとか、あのアドバイス真面目に聞いておけばとか。耳が痛くて途中で聞くのをやめてしまったくらい。でも、ちゃんと聞かないとと思って、反省するところは反省して、今からでも、少しでも不義理をなくしていこうと思って聞いた。今までは取り返せないけど、これからを考えよう。来週久々に人に会う。実はこ馬鹿にしてくる人が来なくなったのでちょっとほっとしている。楽しめるかな。人と会っても上手く会話できないってことに悩んで会う前が一番疲れる。

今週長いな。明日も会社に行かないといけないなんて信じられない。仕事辞めたいけど、辞めたらもう働けるところないし、働かないと生活できないし、割り切って、生活のためお金のためと割り切って働こうと思っているんだけど、それでも辛い。つらいつらいつらい。つらいときはつらいと言っていこう。言ったって何の解決にもならないのは分かってるけど、言わなくたってなんの解決にもならんし。