2024.4.11

うすうす気がついていたけど、聞き逃しかけない方が寝つきがいい。たまに寝ても、音で目が覚めて寝付けなくなるということもあって、そうかなあとは思っていたんだけど、昨日の夜試しにかけないで寝たら、寝つきがよかった。そもそもかけはじめたのは、静かなのが怖かったからなんだよね。だから昨日も怖くなるかなとちょっとびびってたんだけど、問題なかった。しばらく睡眠優先で聞き逃しはやめよう。また、怖くなったらお世話になろう。

「天間荘の三姉妹」の感想を書く。ネタバレあり。天間荘は、現世とあの世の間、三ツ瀬と呼ばれる場所にある旅館。現世で危篤状態になった人が、死か生かを選択する場所。長女ののぞみは、旅館の女将、次女のかなえは、水族館で働く。母親である恵子は、自分たちを捨てて出て行った夫、清志のことが忘れらず酒浸りの日々。そこに、交通事故で危篤状態となった、たまえがやってくる。たまえは、のぞみたちの父親が、再婚した女性との子ども。たまえの母親は早くに亡くなり、父親も9歳の時にいなくなった。生き返っても家族のいないたまえは、天間荘で働くことにする。

三ツ瀬はあの世とこの世の間にあるということは、三ツ瀬で生活している人たちはみんな危篤状態でずーっといるということ?本人たちは気がついているの?などなど疑問が多くて最初はいまいち乗れなかった。途中で、三ツ瀬にいるのは、大地震で亡くなった人たちだと分かる。東日本大震災を表しているのだろう。地震津波のシーンがあることの注意喚起はしているのか気になってたんだけど、ホームページに書いてあった。よかった。

三ツ瀬に自殺をして意識不明の優那がやってくる。生きていても一人だしいいことなんて一つもなかったと、天間荘でわがままに振る舞う優那に、恵子は生きてくても生きられなかった人がたくさんいるんだと説教をする。はい、ごもっとも。

三ツ瀬に清志が現れる。実は清志は、かなえを預かってほしい頼むため、天間荘を訪れたとき、震災にあい亡くなってしまう。他の女との間にできた子どもを預かってほしいって図々しいと怒る恵子に、清志は自分ががんであることを告げる。罵倒できない話をしやがってとつぶやく恵子。

震災で突然亡くなった人に、生きたくても生きられなかった人がいると言われたら、罵倒はしないけど、まあ似たような気持にはなる。何も言えない、正論だし、きっとその人は生きたかったのだろうし、やりたいこともあったのかもしれないし。ただ、散々苦しんで死を選んでしまった人のこと思うと、そう言われてもなあという気持ちもある。恵子たちのことを責めているとか、そういうことじゃないんだけど、死を選んだ人の気持ちを思うと、正論だけど、分かっているけど、心の底からうなずけない気持ちもある。ただ、この作品は震災で突然家族や大切な人を失った人たちのために書かれた映画だと思う。最後は痛くなかったかなとか、どんな気持ちだったかなとか、色々考えてしまうけど、あんな風に宴会を楽しんでくれていたらいいなと、それなら一人で寂しくないよねと、残された人へのメッセージだと思う。当事者でもない自分がそう思うのはおこがましいかもしれないけど、製作者側はそういう気持ちで作っていると思う。

門脇麦さんと高良健吾さんって、華子と幸一郎じゃん。のんちゃんがイルカに惹かれるのは、魚くんだったからだよ。

急に暖かくなってきて、何を着ていいか分かんない。結局春先は何を着ていいかわかんない季節みたい。買い物行きたい。こないだ買ったブラウスは半そでだからまだ着れない。スウェットのワンピースは1枚だとまだ寒いかも。3連休何を着よう。あ、スニーカー買いに行かないと。前はネットで買ったのに、品切れ。スニーカーはここのブランドのこれと決めて、もう4足目になるので試着がいらない。だからネットで買うのが便利でよかったのに。やっと休みだ。休みだ。先代の子どもたちが、名誉職みたいな感じでいてあまり会社に来ないで、コロナで行けなかったからと去年あたりからバンバン海外旅行に行っていると聞くと、なんか、働いているのが馬鹿らしくなる。平成のうちに海外行っておけばよかった。と後悔するけど、長期の休み取れないんだなあ。私も名誉職ならよかったのに。寝そべるか。族るか。あーあ馬鹿らしい。

「がんばらないで生きる がんになった緩和ケア医が伝える40歳からの健康の考え方」を読んだ。タイトル通り、40代でがんになった緩和ケア医が、その経験をもとに書いた本。著者は緩和ケア医として、夜間も休みも呼ばれれば出勤し、忙しい毎日を送っていたが、がんと診断され、それまでの生き方を見直さなければならなくなる。ためになったのは、国立がん研究センターの「がん情報サービス」というサイトが参考になるということ。がんで検索すると、有象無象の情報が出てきて、中には民間療法もあって、何を参考にしていいか分からない。なので、ここがいいんだって。それと、主治医のいる病院のホームページ。あとは、痛み止めの使い方。痛み止めは飲んですぐには効かないので、痛いと思ったらすぐに飲む。外出前など予定に合わせて予防的に飲む。著者自身が患者に対して「痛くなったら我慢しないで」と伝えていたにも関わらず、自分が患者の立場になったら、この時間はナースステーションは忙しいかもとか、もう少し我慢できるかもと、考えてしまっていたと書いている。多くの人は痛みを我慢してしまう傾向にあるけど、痛みは生活の質を下げる。緩和ケアというのは、生活の質を保つことも仕事みたいで、著者は緩和ケアをもっと多くの人に知ってもらいたいという気持ちで本を書いていて、緩和ケアについて知ることができる。

この本は、去年の12月くらいに知って、今回枠に余裕があったので別の本取りに行くのに合わせて予約した。知った当時はいざとなったら死ねばいい気持ちがあったけど、今は死にたくなくて、この本はがんとどうやって付き合って生きていくかが書かれているので、去年よりも今読んでよかったかもと思った。これはがんにならなくても、中年になったら体力は落ちるし、気力は減るし、今までとは違う生き方を考えていかなければならなくなるから、そういう意味でもいい時期に読めたかもしれない。著者が医師であることもあって、どこか自分の病状や周りのことを客観視、つまり医師として患者である自分を観察している視点で書かれているので、感情移入する面が少なく、あまり辛くならずに読めた。がんでもそうじゃなくても、死ぬまでにしたいことリストを作った方がいいと進めている。ただ、頑張らないの前提は、今まで頑張ってきたがあるんだよね。

難しい人への対応がうまくいった。はあ、気使った。偉い人だからご機嫌損ねたら大変だった。

韓国の選挙で、大統領が物価高なのにネギの値段を適正だといったことから、ネギを持ってデモしたり、投票所に行く人が増えて、ネギが禁止された。そしたら今度は、大統領夫人が過去にDiorのバッグを送られたことが問題になっていて、それで紙袋にDiorと書いて投票所にもって行っているらしい。韓国すごい。抗議のアイコンを作るっていいね。韓国すごいと言っている場合じゃない。見習わなければ、あの熱量を。

2024.4.10

今日木曜日だと思ってた。ショックだ。明日も会社じゃああん、嫌だ。耐を選んだつもりはないんだけど、辞ができなかったので結果的にそうしないとけなくなってしまった。しかも、長く。辞を選べる人生だったらよかったなあ。後悔ばかり。仕方ない、木曜日だと勘違いしてしまった水曜日は、後悔くらいしなければやってらんない。月曜日のあさイチにスーさんと美香さんが出て、お悩み相談をしていた。「理不尽な扱いをされたとき、つい謝ってしまいます。どうしたらいいですか」の相談にスーさんが、舌打ちって答えてた。舌打ち、できるものならしてみたい。

「怪物」を見た。感想にはネタバレあり。シングルマザーの早織は、一人息子の湊が、担任の保利から暴力を振るわれ、暴言を吐かれていることを知り、学校に抗議に行く。校長をはじめ学校側は誠実な対応をせず、保利も反省している様子がない。ようやく保利が謝罪したことで決着みせたかと思ったが、ある大雨の日、湊が行方不明になる。

「怪物」がカンヌでクィアパルムドールを受賞したタイミングだったと思うんだけど、映画の中でとある事件が起きて、その原因が男の子たちが同性愛者だったことで、でも、同性愛者であることはネタバレしないようにと、広報側からかん口令が引かれていたことをツイッターで知った。それがツイッター上で話題になって批判されていた。同性愛であることをネタバレとするなと。柚木さんが「女優エヴリンの七人の夫」をY2K新書で紹介した時、どこまで紹介していいか迷ったので、出版社に確認したら、エヴリンが同性愛者であることはネタバレとは考えていないので言ってもらっても大丈夫だと言われたと言っていた。この本ではかなり早い段階でエヴリンが同性愛者だということが書かれ、それが彼女の突飛と言われる行動につながっていくことが分かる作りになっている。「怪物」はそれを最後にもってきて、ネタバレ禁止としたわけで、クィアをテーマとした作品を取り扱う意識の差が出ていると思う。

早織側から書かれた出来事が、保利側や湊、依里側から書かれることで、色々明らかになっていく。依里は、あみ子やミー坊を思わせるようなキャラクターで、依里の父は、依里を直そうと思っている。学校で依里はいじめを受けているが、湊は保身を考えて、それを止めることができない。ある日、いじめられている依里を見て、我慢ができなくなった湊は近くにあるものを手当たり次第投げて暴れる。ちょうどそこに入ってきた保利が、湊を止めようとすると、保利の手が湊の顔に当たってしまい、湊は鼻血を出す。

煮え切らない学校の態度に業を煮やした早織は、依里の家を訪ねる。その後依里は、校長室で保利は湊に暴力をふるっていると、嘘の話をする。なあなあで済ませたい学校側は、保利に保護者の前で謝罪するよう強要し、しかもそのことが週刊誌にも書かれ、保利は自殺を考えるほど追い込まれてしまう。

湊も依里も自分と相手を守るために嘘をついたんだけど、どんどん悪い方に追い込まれていく保利がかわいそうすぎて辛かった。保利にキャバクラのこと突っ込む同僚教師、北浦愛ちゃんだった。

依里は祖母の家に引っ越すことが決まり、「僕普通になったよ」と湊に告げる。「今まで仲良くしてくれたありがとう」と湊を見送る父親だが、帰ろうとする湊に依里は、全然普通じゃないと叫ぶ。父親は乱暴に依里を抱き上げ家の中へ。翌日、大雨の中、湊は心配で依里の家へ向かうと、父親に暴力を振るわれた依里はぐったりと横たわっていた。2人で秘密基地へ向かう。同じころ、早織は湊が家にいないことに気がつく。すると、外から湊を呼ぶ保利の声が。保利は湊と依里が宿題で書いた作文に暗号のように書かれていた文章を読んで、自分が間違っていたと、湊のところへ来た。

作文になんて書かれていたんだろう。保利が間違えたと思ったのは、湊が依里をいじめていると思ったこと?それとも、2人が同性愛者だと気がついてあげられなかったこと?結局、湊と依里が同性愛者であることは、誰も分からないままだったのかな。最後も、白抜きとトンネルを抜けるという、死をイメージさせるような演出で、その後の2人の会話、生まれ変わったかな、生まれ変わってないよ、そのままだよで、亡くなってないと私は思ったけど、死とも受け取れるような書き方をしたのは、どうかと思う。はっきり2人は生きていると書くべきだったと思う。

見終わったので、朝日の是枝監督と児玉さん、坪井さんの対談を読む。私は児玉美月さんという書き手を信頼しているので、児玉さんが書いているなら買おうかなとパンフレットを買うこともあるし、昨年出版された共著も買った(まだ読んでない、積んでる)。この対談で初めて坪井さんを知ったけど、坪井さんの書くものも読んでみたいと思った。10年位前、地元の映画館で是枝監督のトークイベントがあって、友達の友達が関係者という薄いつながりで、打ち上げに参加することが出来た。有名な大御所男性監督ということで、完全に偏見だけど、監督の話を聞く一方になるのかと思いきや、監督はものすごく人の話を聞く人だった(ちなみに、的外れな解釈を披露してしまった。ファンあるあるだよね)。その姿勢は対談でも現れていた。読みごたえがあったし、勉強になる対談だった。あとでまた読み返そう。

音楽が坂本龍一さんでした。ニュースで読んだのにすっかり忘れいていた。

現代思想」がなかなか進まないけど、平日はしょうがない。3連休があるから、余裕があるはず。読める。市外の図書館に本を取りに行って、それは京都のガイドブックその2だから、読む方には余裕ありと判断し、「平成犬バカ編集部」を借りてきた。「飛ぶ教室」で紹介されていて、暇な編集部に配属されて、暇だから自分の好きな雑誌を作ろうと、大好きな犬に特化した雑誌を作る。最近はペットブームもあって犬に特化した雑誌は珍しくないけど、当時としては先駆けだったみたい。その時ゲストで出ていたのは、著者の片野ゆかさんだったんだけど、しばらく後に雑誌を立ち上げたご本人も「飛ぶ教室」に出演されて、今は故郷に帰って植木職人をしているらしい。どうせならやったことのないことを仕事にしようと思ったと。なんて軽やかな転身。市内も2冊本が届いているんだけど、1冊は「Y2K新書」の3人が掲載されているananだから、実質1冊。週末には「Y2K新書」も配信されるし、幸せ。

「戦争のできる一流国家になった」発言は、本気か?「現代思想」読んでいると、「このままでは、次のガザが必ずやってくる」という言葉が、現実になりそうで怖くて仕方ないんだよ。ガザの現状と日本は全然無関係じゃなかったと分かり、責任を感じる訳じゃないけど、あまりに無関心過ぎたと反省した。戦争なんて絶対に嫌だ。反対に決まっている。言葉の意味も分からない、戦争ができる国=一流国家ってどういう発想?そもそも一流国家って何?国家に一流とか二流とか三流とかあるの?そういう線引きの発想が、ガザの事態を引き起こしているんだよ。

最近近所のパン屋の揚げドーナツが美味しくて、よく食べていて、まずい。菓子パンなんて一番太る食べ物なのに。でもさ、本当に美味しいんだよ。

2024.4.9

死にたくないなら、どうすべきか。とりあえずそうなんだで終わって、考えるのをやめようと決めたけど、決めたぐらいで私が考えることをやめられるわけがない。10年後に死ぬならは、とりあえず10年は生きるということで、10年後に死にたくないなら、これも10年は生きているわけで、つまり10年は生きる。10年後に死ぬならやりたいことは、死にたくない。

「あとは寝るだけの時間」聞いていたら、4月になって新入社員や学生に送りたい漢字一文字は?に、向井さんが平、児玉さんが辞、又吉さんが耐だった。おもしろい。冒頭でハルオミ君という小学4年生の子のお母さんから、いつも聞き逃しで聞いているけど春休みに9時まで起きていてはじめて生放送で聞いたら、ハルオミ君が今これしゃべってるのととても興奮していたとのかわいらしいメールがあった。私もいつも聞き逃しで気がついていなかったけど、これ生放送なんだ。すごくない?終わりもきっちりお決まりの〆の言葉が間に合うし、はじまりのフリートークも面白いし盛り上がるし。

京都の予定ぼちぼち立てているけど、その前にGWの東京を何も考えていなかった。

しかし、死なないとなると仕事のことを考えないといけないのだ嫌だ。辞めたいけど、死なないなら辞められない。死んだって辞められないのに、死なないならなおさら。どうしたらいいんだ。とりあえず、そうなんだで終わろう。とりあえず終わり。しかし、分かったところで何も変わらない。本当に分かったのかな、あれが本心なのかな。寅子みたいな覚悟を持てない。地獄へ行きたくない、血なんか流したくない。地獄へ行って血を流さないと変わらないなら、そのままでいい。置かれた場所で枯れる。咲かない。

「光る君へ」のファンミを見た。ウイカちゃんの機転の利かせ方がすごい。会場に赤ちゃんがいて、泣き声が「にゃー」に聞こえて、そしたらステージ上の演者たちが猫?ってなったら、ウイカちゃんが「小麻呂?」と。そこから、小麻呂を探しにいったまひろが男性たちの会話を聞いてしまった回に話が及んで、吉高さんが柄本さんに「道長は否定しろよ」と言い、町田さんには「公任が一番ひどいこと言ってたからね」と突っ込む。吉高さんがドラマの展開に突っ込むのとてもいい。兼家に虫けらと呼ばれたことから、どうせ虫けらですからといじけてみたり。ウイカちゃんは大河関連の番組によく出ていて、結構見ているんだけど、毎回衣装が、色に色に柄に柄に加えて装飾さらに重ね着という、ウイカちゃんしか着こなせない。それに負けてないのがすごい。

今のところもなかなかの地獄だけど、まだ恵まれた地獄なんだろう。給料出るし、それで生活できているし。結局考えてしまう。杉田さんのツイートを読んでいると、時間はあるのに鬱で本を読んだりすることができず、その暇な時間にずーっと考えてしまうらしい、将来のこと自分の現状などなど。これは辛い。死なないということは鬱になることを真剣にとらえないといけないのか。でも、考えすぎるのもだめなんでしょ。どうすりゃいいの。考える時間をなくす、そのために忙しくする。これが最適解な気がする。ああそうだよ、変えたかったよ、仕事を人生を。いざとなった死ねばいいと言えなくなったら、どうしていいか分からない。いや、言っていても分からなかったから同じか。じゃあ何が変わったの?だから、やめ。

手術して、その後2週間は安静だから病欠している人が、この日から出勤しますの日より前にもう来ている。大丈夫なんですかと聞いたら、家にいてもつまらないし、仕事が気になるので来たそう。午前中では帰ったみたいだったけど、信じられない。2週間安静の診断書が出たら、絶対出勤しない。ただこの人は、仕事があって、来ても受け入れてくれる同僚なり上司なりがいるということだよね。私はない。コロナが流行り始めた頃も、家にいてもやることないからと仕事に行きたいという声もあったもんね。信じられなかった。ただ、資本主義を生きていくには、断然私みたいじゃない方が生きやすいんだろうね。ちょっとうらやましいもん。

 

先月放送された「ケの日のケケケ」というドラマがとてもよかった。感覚過敏のあまねは、かけていても声は聞こえるヘッドホンが必須。まぶしいとサングラス、食べられる食材は限られ、どんなに美味しくても食べられない、どんなに好きでも触れ合えない。「不機嫌なモンスターにならないためには、たゆまぬ努力が必要だ」というように、あまねは自分がどうしたら快適に過ごせるかを知っている。高校に入学したあまねは、先生から部活入部は必ずだと言われるが、入ることのできる部活がない。そこで、同じクラスの進藤と、何もしなくてもいい「ケケケ同好会」の設立を決める。進藤は陸上で期待された選手だったが、タイムを競うことにのめりこむあまり、タイムの上がらない部員たちを努力しないからだと見下すようになり、やがて自分のことも数字でしかみられなくなっていることに気がつき、陸上をやめることにした。進藤は若いのにもう気がつけてすごいと思った。

ケケケとは、あまねの母親の笑い声で、ご機嫌な感じがしていいと、あまねのお気に入り。ドラマの冒頭ではあまねと母親はうまくいっているように見えたんだけど、母親に彼氏ができて、変化が訪れる。彼氏は自分の作るハンバーグは美味しいからと作ってあまねに食べさせる。それまではあまねが朝食を作っていたが、母親が彼氏からあまねを放っておき過ぎだと叱られたと、母親が作るようになる。食べられるものが限られているあまねは、分かっていても無理して口に運び、吐き出してしまう。あまねの父親も、あまねの感覚過敏なところを直そうと必死になり、でも直るものではないので、それが原因で父親は家を出てしまう。だからあまねは、無理して食べる努力をするのだろう。あまねは母親を響子さんと名前で呼ぶ。それは父親が家を出て行ってしまった原因と関係があるのではと思う。母と娘、親と子ではなく、響子さんとあまねという、対等な関係にあることを意味しているのではないかと思った。母は子どものご飯を作る、という呼称に縛られた関係ではなく。でも、彼氏ができたことでそれが変わり、しかも母親が妊娠していることを知ったあまねは、赤ちゃんの声に耐えられる気がしないと思う。彼氏ができて響子はケケケと笑わなくなった。

あまねは自分が過ごしやすいように主張して行動するので、理解できない先生や生徒会副会長には、厳しく当たられるが、あまねが自分はこういう人間だとさらけ出しているからか、ケケケ同好会には色々な事情を持った人が集まってくる。響子の妊娠がショックで学校を休みがちになったあまねは、母親の介護のために登校できない部員から、介護が終わったので学校に行くとメールをもらう。介護が終わったということは、、、彼女に会うために学校へ行ったあまね。ケケケ同好会に所属していた生徒会長が卒業し、あまねを目の敵にしていた副会長が会長になったことで、ケケケ同好会はなくなってしまう。生徒会長になれば部活強制の校則を変えられるかもしれないと、あまねは部活強制の校則廃止を公約に生徒会長に立候補する。

あまねの行動力に感心する。逆に言えば、そこまでしないとあまねの居場所はないということなんだよね。さらに逆を言えば、そうしなくても自分には居場所があった。居場所を作ること、その場を継続することの大変さを何も知らないで、ただただ享受していたということ。元副会長は進藤と同じ陸上部で活躍していたが、膝を痛めて引退。努力家の彼女には、それは悔しいことで、ケケケ同好会のような何もしなくてもいい集まりがあると、才能のある人までが怠けるようになると反対する。あまねが努力していないのかと言えば、全然しているし、じゃあ努力しないとだめかといったら、努力は出来た方がいいに決まっている。それはそう。元副会長があの人は努力してない怠けていると相手を責めたくなるのは、自分の問題なんだよね。

この脚本を書いた森野マッシュさんは、「VRおじさんの初恋」も書いている。夜ドラ見ているけど、今のところそこまでおもしろいと思えない。これからくるか?

休めないし変えられないしやり直せないなら、失敗してからの人生が長すぎる。覚悟が足りない、努力が足りない。ええ、きっとそうなんでしょう。そういわれるのが分かっているから誰にも相談できないし、そうと分かっていても覚悟は持てないし、努力は出来ない。わかってるわかってる、いつかこの時を後悔する日が来ることは分かっている。なさけないはずかしいみっともないこんなはずじゃなかったわたしがこんなめにあういみがわからない。いや、意味なんかない。意味がなかったらなんなんだろう。意味がなかったら、私がこんなめにあっているというだけのこと。休みたい。早く休みにならないかな。金曜有休だから3連休。努力ができない自分を肯定できないみたい。

2024.4.8

最近のレンタル、薄手の物が多くて、寒くて借りられない。春物のコートが案外ない。最近は春短くてすぐ夏って感じだもんね。一着薄手のウールのコートまだレンタルしているけど、もう1枚のと一緒に返せばよかったと思った。そう考えると、薄手のウールは1ヶ月しか着ないわけで、あ、でも秋口にも着るならもう少し長くは使えるか。もし買うならね。

土曜日、またスマホを見てしまう。やめないと。一時期辞められてたんだよね。家事やって、読む本がない。「常設展へ行こう!」も読み終わってしまった。午後に図書館に行くつもりで、図書館には「現代思想」2月号と高山羽根子がいる。市外からも2冊届いているとの連絡があり、新しい本に手を付けてはいけない。読みかけは「小山さんノート」があるけど、手が伸びない。新しいドラマを見始めてもいまいち乗れず、映画を探すのもめんどくさいので、寝っ転がってスマホ見ていた。んだけど、借りている京都のガイドブック、来週には返却だから、気になるところをグーグルマップに落としておこうと思っていたんだと、思い出す。今のところ次の予約が入っていないから延長できるかもだけど、念のため。いつ予約入るか分かんないし。海外は諦めたり、やっぱり諦められなかったりを繰り返しているけど、京都も進めておかないと。

お昼終わって図書館まで歩く。本を借りて、二駅先のレンタルまで歩く。新作5枚で1100円のクーポンがあるから、もし何かあったら借りよう。1枚220円で、7泊8日か2泊3日。アマゾンでレンタル開始していたら、30日間借りられて作品にもよるけど500円とか。1度視聴すると2日か3日で期限切れ。アマゾンで借りた方が結局安上がり?分からん。「スラムダンク」がある。たいてい公開から半年でレンタル開始と思っているんだけど、そしたらスラムダンクは、2022年12月公開だから、かなり経つ。新作2泊3日は2作品にしないときついんだけど、2泊3日で借りたいのが3枚あり、絞り切れないし、7泊8日でもう1枚がどうしても選べなくて、結局3枚借りる。近くのスーパーで買い物。夕食にお弁当か総菜を買おうといろいろ見ていて、焼き鳥弁当にしようかなと思い、でも、焼き鳥だけで売っているから、冷凍のご飯もあるし、そうしようか、値段はどのくらい違うのかと考えながら、総菜コーナーに移動して、100円違うんだと確認した直後、なぜか死にたくないと思った。数日前に書いたように、死ぬまでにしたいことが漠然としか思い浮かばず、明日死ぬとしたらと考えたら、仕事行かないしか思い浮かばず、これは役に立たん考えだと、じゃあ10年後に死ぬならと考えようと思いついた。それでも具体的な何かはでてこないんだけど、この日、スーパーの総菜売り場で目の前が明るくなって、死にたくないと思った。答えが出たのか。これが天啓というやつ。「トーベ」では、高い位置にある窓が開いて、風と光が入って美しいシーンだったけど、私の天啓は地味だった。明るくなるのは一緒ね。そうか、10年後に死にたくないのか。結局焼き鳥弁当を買った。煮卵もついているし。

帰って早速「スラムダンク」。いい。これは公開当時話題になったのが分かる。これはいい。りょーちんを軸にして山王戦を書くんだけど、構成がうまい。脚本も監督も井上先生がされているのは知っていたけど、すごい人だね。ぼろぼろに泣いた。2作目は「ユリョンと呼ばれたスパイ」。合間に「現代思想」を読むが、難しい。これ2週間で読むのは無理だから買おうかなと思ったけど、自分のことだから買ったら満足して読まないから、2週間で読み切る。が、寝っ転がって読んでいたら、2時間位寝てしまう。ああ、何してんだよ。DVDも見ないとだし、本も読まないとなのに。

夜、「Y2K新書」のシーズン2が配信開始されていることを知る。やったあ、きたあ。

日曜日、この日も。金曜日あたりからドライヤーの風量が弱まり、異音もするので、近くのリサイクルショップに探しに行くことにする。その近くのスーパーでフードドライブをやっているのを知ったのが多分去年の秋位。それから持っていこう持っていこうと思っていたのに、行かず、ようやくこの日に行った。ようやく。「現代思想」も持っていって、久々にカフェに入る。昨日全然進まなかったから、カフェで読もうと決めていた。1時間位いて、結構進んだ。自分の物の知らなさに愕然とする。「ガザ戦争は、イスラエルパレスチナの二者間関係だけではない。それは、イスラエルパレスチナ占領が体現する、「西洋」(日米を含む)が近代に展開してきた植民地主義による他者支配の問題であり、それがきちんと「整理」「反省」されてこなかったことの問題である。その遺恨が噴出したのが、今次のガザ戦争だといえよう。」岡真理さんの講演会でも言っていたように、植民地主義で歴史を勉強し直さないといけないと思った。また、右傾化と今回ことが無関係ではないことも分かった。

ドライヤーあった、1300円。これにしようと決めて、洋服を見る。こないだスウェットのワンピかったから、久々というわけでもないけど、結構いいのがありそう。5着試着して、1着購入。UNIDED TOKYOのブラウス。全く同じ形の色違いを、ここで去年買った。ここのブランドはデザイン性が高いので1枚で着ても寂しくならないのがいい。去年がオフホワイトで今年がブルー。ワンピもよかったんだけど、多分ベルトループがついているから共布のベルトがついていたと思うんだけど、なくて、ウエストにゴムが入っているからそのまま着ても形はいいんだけど、ゴムをベルトで隠した方がいいと思い、やめた。ブラウス持ってレジへ向かう途中でドライヤーも持っていこうと思ったら、風が出る先のキャップ?みたいのがない。確か、髪が巻き込まれないようについていると思うんだけど、あれがないと巻き込まれたら困るのやめる。他に中古のがなくて、新品の2400円のにした。壊れて一番困る家電がドライヤーだから、まあ、あってよかった。

買い物して帰ってからお昼。「ユリョンと呼ばれたスパイ」を見る。感想にはネタバレあり。日本統治下の京城で抗日組織のスパイ、ユリョンと疑われる5人がホテルに集められる。早い段階でチャギョンがユリョンだと分かるので、もっと心理戦中心かと思ったら、なんとなんと、途中で祐璃子ユリョンだと分かり、ここからのイ・ハニ、パク・ソダムのタッグを組んだアクションがとってもいいの。見ている間もイ・ハニのこと見たことあるなと思って、今頃気がついたんだけど、「エクストリーム・ジョブ」のヨンスじゃん。2人がとてもよくて、シスターフッド映画として進めたいけど、それを言うとネタバレになってしまうというジレンマ。ソル・ギョング演じる村山は、母親が朝鮮人ということで出世の道を断たれ、しかも、母親が血を苦にして夫(村山の父)を殺して自分も自殺してしまう。ホテルに集められた5人は日本語が上手くて、「マルモイ」を思い出し、どんなに苦労して嫌な思いをして身につけざるを得なかったんだろうと思うと辛くなる。韓国では日本統治下の映画が結構つくられているけど、邦画であるのかな。ぱっと出てこないな。煙草の使い方も上手かった。

3本目は「バーナデッド ママは行方不明」をいう、中年の危機を迎えたバーナデットが、私これをすると勝手に決めて、都合よくうまくいく展開に乗れず。ウェルメイドな作りなのは分かってみてたけど、やり直しがきいていいなとやっかんでしまった。

現代思想」は100ページという切れのいいところまで読もうと、思ったけど、98ページで力尽きる。あと2ページくらいとは思ったんだけど、無理。でも、全然寝つけなくて、でも起きて続きを読む気力もなく。死にたくないと思ったけど、だからといって何かが変わるわけでもなく、当然来る日曜日の次の日の月曜日が嫌で仕方なく、死にたくなかったら仕事どうにかしないと、でも仕事嫌だ、明日会社に行きたくない。と考えることは相変わらず同じ。勘違い天啓だったのかな。

横になりながら「新日曜名作座」を聞いた。脚色が、三國月々子さんだ。最近FMシアターを全く聞いていなかったけど、もしかしてこっちでも書いてたかな。聞き終わってもしばらくしても寝付けなさそうなので、絶望名言を。先週1週間アンコール放送していた。遠藤周作を聞く。あれだね、春は絶望するもんね、絶望に寄り添う言葉が必要だよね。そういえば、「オードリー」が再放送するからNHK+で見られると思ったら、見られなかった。楽しみにしていたのに。死にたくないなら、どうしたら生き延びられるか考えないとなのか。死にたくないと、生きたいは、別?えーめんどくさい。こんなごちゃごちゃ考える性格じゃなくて、死にたくない、生きたいんだ、じゃあ、頑張ろうって前向ける性格だったらよかったのに。そういう性格だったらそもそも死にたいなんて思わないのかな。いや、どんな前向きな人だって、いつなんのきっかけで心折れたり折られたりするか分かんないもんね。

死なないとしたら、どうしたらいい?他の人はどうかわかんないけど、天啓が来たからって考え方が変わって、急に行動的になるってことは、私の場合はない気がするんだよね。まず、10年後に死にたくないんだなってことを、そうなんだと思っておこう。あとは、わかんない。

2024.4.5

ジェラシーくるみさんの「私たちのままならない幸せ」という本が面白そう。ただ、図書館にはなし。発売されたばかりだからこれからか、でも最近図書館の新刊所蔵が減っている気がするので、入るかな。同じ著者の「そろそろいい歳というけれど」が読み放題に入っているので、こちらを読んでみる。ただ前者が幅広い年齢の女性にインタビューしているのに対して、後者はアラサーなので、前者の方が読みたい。こういうとき読みたいほうをぱっと買って読めればいいんだけど、とりあえず図書館待ち。読み放題に「紫式部日記」もあったからダウンロード。

「誰でもない」読み終わる。短編集はあまり好きじゃないと前にも書いたけど、この短編集はよかった。前に日本と韓国だと短編集の編み方?編集の仕方?が違うと何かで読んだことがあるんだけど、多分斎藤真理子さん。私の韓国文学の知識は、たいてい斎藤真理子さんから。「誰でもない」は、貧困や喪失といったテーマが通底している。一番印象に残ったのは、「誰か」という作品。アパートで独り暮らしをしている女性、ある日上の階の女性が、自分の上の階の住人からけんかの音がうるさいと苦情があったがうちじゃないので、どこの住人か探している、おたくじゃないかと、言ってくる。私ではないと答えると、その女性は、うちは子ども2人と犬とも暮らしているがうるさくなんかしていないと言って立ち去る。主人公の女性は、このアパートは静かなので、犬がいるなんて思ってもいなかった。女性がここへの引っ越しを決めたのは静かだから。以前住んでいたところはうるさくて、家賃は高くなったら静かなところへ越した。上の階の女性が来て少し経った頃、主人公の女性の会社で、近くの席に座っている契約社員の女性が契約を切られた。次は自分かもしれないと怯える主人公は、崖のぎりぎりに立つ夢を見るようになる。そして同じ頃、今まで静かだった上の階から音が聞こえるようになる。ある日、騒音に耐えられなくなった主人公は上の階に注意しに行く。騒音は、ここの家賃も高いと感じるようになってしまった彼女の不安定な雇用状況と、それに対する不安なのかなと思った。他人事じゃない。誰からも期待されないのは楽だけど、どうして虚しさを感じてしまうのだろう。でも、期待されても応えられる自信がないし、責任のある仕事を自分にできるとは思えないんだよね。そのことも情けないんだけど、一番情けないのが、自分がどうしたいか分からないこと。これが本当に堪える。恥ずかしい話、人から褒められたいし認められたいけど、そのための努力はできないんだよね。だから諦めてはいるつもりなんだけど、まだどこかで期待しているのか。言われた仕事だけやって、それだけで満足できる性格だったらよかったんだけど。いや、言われた仕事がそもそも少なかったりブルシットだったりするから不満があるのであって、言われた仕事がそれなりにあるなら、文句は言わない。かも。しれない。

「そろそろいい歳というけれど」を早速読み始める。私が婚活しているときにはなかった、マッチングアプリ虎の巻が面白い。なかったというか、ここまで市民権を得ていなかったというか、なぜかフェイスブックの出会い系(と当時は呼んでいた)がいいという噂があり、私の周りでは1人が結婚、1人が彼氏ができた。読んでて思うのは、「自分がほしいものを分かっている人は強い。」、大河の倫子見てても思った。そりゃ、中年の今まで欲しいものが分からないと言っている自分は、結婚なんかできなかったはずだ。でも、結婚願望がないと分かったから、距離を取って読める。この本のお客様じゃないかもと思ったけど、逆にお客様じゃないからこそ気軽に読めていいかもしれない。

だましだましやるって悪いことではないよね。いや、取り返しのつかないことになるから、いいことではないか。あーもう手遅れなんだけど、なんとかならないかなああ。でもさ、自分がほしいものが分かっていることと、それのために努力できることと、それが叶うかどうかは別。バリキャリになりたかったあの頃、いや、バリキャリじゃないな、キャリアがほしかったあの頃だな、バリは無理。あの頃というか、今も欲しいけど。欲しいの?「なぜ男女の賃金に格差があるのか」読んでた頃も書いたけど、高学歴高収入憧れのキャリアがほしいわけじゃなくて、この先も女一人が生活していくために必要なキャリアがほしい。運慶にも願ったけど、これからも一人で生活していくために、キャリア?やりがい?信用?ブルシットじゃない仕事?がほしい?わかんなくなってきた。考えちゃうんだよね、これがほしいと思っても、もう年だし無理とか、自分にできる訳がないとか、手遅れとか。

2024.4.4

今朝、ラジオで4月4日水曜日って間違えて、え、まだ水曜日だっけと焦った。この世界から水曜日が消えたら。素晴らしい。猫が消えるより多くの人が幸せになると思う。消えてみよう。こんな愚にもつかない事ばっかり書いているからダメなんだろうね。ダメな自覚はある。

「87分の1の人生」を見た。感想にはネタバレあり。アリソンは仕事も順調、婚約もして幸せだったが、自分の不注意で交通事故を起こし、同乗者2名が亡くなってしまう。その2名は、婚約者ネイサンの姉夫婦。事故後ネイサンと別れたアリソンは実家に戻ったが、鎮静剤が手放せず依存症になってしまう。意を決して依存症の集会に行くと、そこにはネイサンの父親、ダニエルがいた。ダニエルを見て逃げるように会場を出ようとするアリソンに、ダニエルは集会に参加するように優しく諭す。アリソンをフローレンス・ピュー、ダニエルをモーガン・フリーマンが演じている。

アリソンは薬欲しさに母親と喧嘩したり、製薬会社に勤める昔の同僚に連絡を取って絶交されたり、バーであった「地元からは絶対に出れないと見下していた」同級生に薬を頼んだり。学生時代から人気者で優秀だったアリソンは、見下していた彼らのようになってしまったことを受け入れられない。集会で事故のことを話す時も、私には責任はないと開口一番に言う。事故の時実はスマホを見ていたのだが、そのこと話せない。

ダニエルは娘夫婦の娘、ライアンと暮らしているが、ライアンは両親を亡くして以来、大好きだったサッカーもやめ、勉強にも身が入らず、教師から厄介者扱いされている。ダニエルはライアンとどう接していいか分からない。ライアンが学校だからとアリソンを家に招いたダニエルだが、早く帰ってきてしまったライアンがアリソンと会ってしまう。最初は怒っていたライアンだが、アリソンと連絡先を交換し、話がしたいと言ってくる。

ライアンと会ったアリソンは、彼女からネイサンに新しい彼女ができたことを聞き、動揺する。家に帰ったアリソンは薬を吸引してしまって、その後鏡に向かって自分を責めるシーンが辛い。「ザ・ホエール」思い出した。自分でもだめだと分かっている。分かっていてもやめることのできない自分を責める。嫌なやつとは離れればいいというけど、それが自分なら離れることはできない。

アリソンはライアンに誘われてライブに参加すると、そこでネイサンと彼女に会ってしまう。ライアンがネイサンを連れてきたのだ。動揺し、嫌がらせでわざとやってるんでしょとアリソンはライアンを責めるが、ライアンは本気でアリソンとネイサンによりを戻してほしいと思ってた。なぜならそれがママが望んでいるからと。私もライアンは復讐心でアリソンにネイサンのこと話したり、再会させたりしていると思っていたので、ライアンの本心を聞いて辛くなっちゃったのよ。

ライアンの友達に誘われてそのままパーティーに参加したアリソンは、そこでも薬をやってしまう。2人が帰らないことを心配したダニエルが、スマホの位置検索機能で居場所を特定して乗りこんでくる。ライアンを助けたかったというアリソンに、ダニエルは君は誰の役にも立たない哀れな女だと言う。ダニエルはアリソンが運転中にスマホを見ていたことを知っていた。

翌日、アリソンはロレックスを質に入れ、その代金で薬を断つために入院する。そのロレックスは、バーで昔の同級生と会った時に、彼らからそれ、ロレックスだろうと指摘されたもの。きっとアリソンにとっては、自分が幸せでうまくいっていた時の象徴で、以前入院の話が出た時にはお金がないから父親に出してもらうと言って、時計を手放すことも頭になかったんだと思う。それを手放して入院した。グループセラピーでも、ネイサンも前でも素直に話せるようになる。もう、事故は自分のせいではないとは言わなくなった。

やる気がない。早く休みたい。縁切り寺に行ったこともあるのに、どうして今の職場と縁が切れないのだろう。違う職場と縁を結べないのだろう。ポジティブ心理学でいうと、本気で願っていないからになる。結果で本気かどうか決めるのはずるい。何でも言えるじゃん。じゃあどうしてさあ。ダニエルは人生を受け入れろといった。「金の糸」のエレネは過去を乗り越えたら後は楽しめと言った。受け入れるってどうやるの、乗り越えるってどうやるの。どういう状態になったら受け入れられていて、乗り越えられているの。分からん。休みたい。仕事行きたくない。あと1日行けば休み。なんであと1日行かないといけないのか。休みたい。鬱治療中のことをつぶやいている人、朝日で新書速報書いている人だった。え、鬱で動けないのに、本読んで記事書いてるって、すごくない?読んでて怖くなる。いつか自分もなってしまう。お金も住む場所も仕事もどうしよう。無理だね、無理。どう考えたって無理。働けなくなったらお金は入ってこないし、家賃が払えない。考えなくなって無理なのが分かる。独身でキャリアも貯金もない中年女性は鬱になったそれまでだ。まあしょうがないよね。それならそれでいいかと諦められるように頑張ろう。これが人生を受け入れるということか。そうかあ。じゃあ、鬱になるまではなるべく楽しく過ごそう。終活しながら過ごそう。鬱とは関係なく、やっぱり働けなくなったら終わりか。嫌で嫌でしょうがないものに生活を支えてもらっている。だから、せめて少しだけでもいいものにならないかなって、そんな風に思って頑張った時期もあったんだけど、ならなかった。思い出したくもない。完全に間違えた。間違えたままここまできて、このままいくしかない。間違いを正せる日はくるんだろうか。このままいくしかないなら、こないってことじゃない。愚にもつかないことをだらだら考えてバカみたい。だってすることないんだもん。休みたい。帰りたい。生活のためお金のため生活のためお金のため。諦めよう諦めよう。割り切ろう割り切ろう。

「ひきこもりラジオ」で生きる意味って言っていたけど、生きる意味とか考えないで生きられる人生がよかったな。そのほうが幸せだよね。それとも、生きる意味が見つかった人の方が幸せなのか。やっぱりその存在に気がつかずに生きられる方が幸せだと思う。生きる意味を考えるということは、自分に生きる意味がないと気がついたということで、よくわからなくなってきた。ただ、こんなふうにぐだぐだ考えているより、考えない方が幸せだということは分かる。自分で自分が嫌だもん。

食べすぎとストレスで、口の中が荒れている。ストレスで食べすぎて、食べすぎがストレスになる。悪循環。健康短寿とか言っているのに、検診は行くし、薬は飲むし、矛盾していない?矛盾しているなとは思うんだけど、うっかり生きてしまったときに、健康でいたい。さっき嫌で仕方のないものに生活を支えられていると書いて、自分の直した方がいいところに気がついた。自分が苦手としている人や嫌いな人に頼るのがするのが苦手で、それをしたあとに、情けない気持ちになる。苦手なのにこの人に頼らないといけないんだって。仕事でもなる。馬鹿みたいだとは思う。仕事を辞めても辞めなくても鬱になるなら、辞めないで鬱になった方がもらえるお金は多いのか。それなら辞めない方がいいかも。どのみち辞められないし。苦痛だなあ。なんとかならないかなあ。ならないなあ。例えば、今日と明日を乗り切れば、来週からは楽になるとかあればいいけど、ない。ずっと苦痛。虚しい。職場にいると自分を騙している気がすると前に書いたことがあったけど、気じゃなくて、だましてるんだよね。だましだましやるってやつ。自分で自分をだまして、自分を自分でだまされる。そうじゃないとやってらんない。いつまでもつかな。もうちょっと無理なんだけどね。そんなわがまま言ってらんないしね。

去年あたりから左の親指が痛くて、原因分からなかったんだけど、昨日気がついた。もしかしてスマホのスクロール?片手で持って親指でスクロールしているんだけど、これかな。分かんないけど、最近は痛まないんだけど、でもそうかもと思ってからは、持っている手とは逆の指でスクロールするようにしている。親指はスクロールの動きをこんなにするようには想定されていないんだろうね。気をつけよう。

2024.4.3

尾野真千子さんの朝ドラナレで、小林薫さんが出てきたとき「これは怒られる感じです」って言っていて、糸ちゃん、善ちゃんにいっぱい怒られてたもんなと思い出す。

「常設展へ行こう」で、富山県美術館にポスターが沢山所蔵されていると知る。これは、行ってみたい。ニュースで、愛知県美術館に個人から、絵を寄贈したいとの申し出があり、美術館側が何点か候補を出して、その中の1作品を5億で買って寄贈したと。すごいね、篤志家っていうのかな、私にお金があったらこういう使い方をする人になりたい。本読んでいても、個人所蔵から始まった私設美術館も掲載されていて、ありがとうと思う。大原美術館なんてすごい昔からあって先駆けも先駆けだったんだな。倉敷は朝ドラカーネーションのロケ地なので、2012年に行っているけど、大原美術館はいかなかったんだよね。当時はいかないこともなかったけど、美術館をどう楽しんでいいか分からなくて、最近はまあ、よくわかんないけどいいかみたいな気楽さと、あとあれば音声ガイドを借りるようにしているのも大きいと思う。みんぱくはあったけど、常設展に音声ガイドはあるのかな。

どこかに行きたい。旅行とかじゃなくて、ふらっと行って、近くでいいから、そこでふらふら散歩して、パン屋があったらパン買って、カフェがあったらコーヒー飲んで本読んで、帰ってくる。そんだけ。休みたい。週5で1日8時間働くのが無理なら、週3で1日5時間でそれまでと同じくらい稼げるように努力をしなければいけない。私にはその努力ができなかったので、今のところで働き続けるしかない。「ひきこもりラジオ」を聞いたら、新年度で環境が変わったり、新しいことに挑戦する人も増える中で自分だけが取り残される気がするとのメールがあり、これ1年前にも同じようなメール読まれたなと思い出す。1月もさ、新しい年、新年、今年の目標とかで、取り残され感を感じることもあると記事で読んだこともあるけど、私は断然4月が憂鬱。正月はまだ、休みだしのんびりした雰囲気があるけど、4月はない。のんびりなんかしていたら追いていかれる。今年の新入職員はいきなり週5勤務で大変だね。のんびりもよそ見も寄り道も休憩もだめ。激務で大変な人に比べたら全然大変じゃないのに、情けないし申し訳ないんだけど、それでも辛い。降りるのも休むのも、それまで頑張ってきたことが前提で、そしてその頑張りが報われないから、降りようとなる。もし、頑張りが報われて、給料は上がり出世もでき、家も買えて結婚出産もできるなら、降りないのかな。寝そべり族も七放世代も、頑張っても給料は上がらず、家も買えず結婚もできないから、寝そべるんでしょ。頑張りが報われるなら、起き上がる?いつまで頑張れる?報われ続ける限りは頑張れる?どうしたらいいんだろう。仕事のことは考えたくない。将来のことも考えたくない。備えていないから憂いばかり。旅行も行かないで貯金に回した方がいいのではないかと、でも元気なうちに行っておかないと旅行には行けないと、そんなんばっかり。なのに、海外行こうかまだ迷っている。往生際が悪い。だってさあ、長い休み取れることなんてめったになくて、今年が取れそうで、まだ親の介護はないし、自分も今が一番元気だし、でもでも、諦めて京都に全力投球しなさい。長い休みが取れるんなてことがないんだよ。長いといっても平日5日、前後の土日合わせて9日間。そりゃ、日本の本が分厚くならないはずだ。それでも私とっては長い休み。昨日の夜、死ぬまでにしたいことを考えていて、今までに何回も考えたことはあるんだけど、これという具体的なことは思い浮かばなくて、旅行に行けたらいいとか、面白い本を読みたいとか、面白い映画とドラマを見たいとか、そんなん。今もしていることで、じゃあ今死んでもいいかと言われると、それはちょっと。

後2日か。早く休みたいし早く帰りたい。もうここにいたくない。どうしたって選べないんだから、諦めないと。3年位休みたい。上層部の女性で、女性が話し持っていくとごねるのに、男性がするとまあまあすんなりという人がいて、まあ、普段から男女や役職ついているかどうかで態度が全然違うから分かる人は分かるけど、分かんない人は分かんないよね。分かんない人に説明しても分かってはもらえないから、説明する気もないけどさ、なんだかな。早く休みにならないかな。図書館に「現代思想」2月号が届いている。特集は「パレスチナから問う 100年の暴力を考える」。「ガザとは何か」が読み終わったので、引き続き勉強。まだ予約枠に空きがあるから、これ取りに行くのに合わせて、高山羽根子さん予約した。芥川賞受賞の「首里の馬」がよかったから、他のも読みたいと思っていた。枠に余裕があって、自分にも余裕があると、いいね。少し前は本に追われていたけど、今落ち着いているのよ。沢山よもう。

老後に編み物をしようと思っているなら、その前からやっておいてある程度できるようになっていないと、老後に突然やっても肩は痛いし目は疲れるし、勘が働かないので全然できないらしい。これは編み物に限らずだよね。私の趣味は目を使うものばかりだから、老後に目が見えずらくなったらどうしようとは思っていて、目を使わない趣味を、そろそろ探さないといけないのかも。目を使わない趣味って、少ない?分からん。ラジオや朗読を聞くとか。人生は暇つぶしと、みうらじゅんさんも言っていたし、暇つぶしを探そう。そもそも人生というのは暇なものなのか?だから人は忙しいのを自慢するのか?だからの意味が自分で書いててもよくわかってないんだけど、忙しい自慢する人いるよね?自分のコンプレックスのせいでそう聞こえるだけなのか?でも、人と会ったら、仕事忙しい?とか、最近忙しい?とか、挨拶のように聞く人いるよね。つまり、人生は本来暇なんだけど、なぜか忙しいのがいいことみたいになっていて、暇なことを悟られないために、忙しくしているとか。知らんけど。悟られないためにだったら、暇ってことじゃん。はて?