2020.11.30

今日で11月が終わる。11月は1回も映画館に行かなかった。もちろんコロナの影響もあるけど、去年忙しくて映画館にあんまり行けない時期があって分かったけど、映画館で予告見て、チラシ見てと、新作映画の情報を入れないと次これを見よう、あれを見よう、あれも面白そうという気持ちが湧いてこない。毎週映画館に行っていたころは、予告やチラシを基に、今週末上映する映画を調べて、どれを見に行こうかスケジュール立てていた。それもしばらくしていない。加えて、配信をテレビで見られるようにしたら、見たい作品も沢山あるし、映画館行かなくてもいいかなとなってしまった。

学生の時から映画が好きで、一人で見に行っていた。試写会もよく応募していた。働いてからは月2,3本くらいのペースで見てたんだけど、30歳になったくらいのときに、ストレスで体調崩したのと、友達増やさなきゃって仕事終わってから予定入れて土日も人と会って、仕事頑張らないと、役に立つように資格の勉強していたら映画を見る時間がなくなった。数年それやって、友達多くはいらない、私は一人が好きだとわかって、人と会うのも、勉強もやめて、余裕のできた時間で何をしようってなったときに、好きなだけ映画を見ようと思った。その頃はまだ若かったから、休みの日は1日3,4本はしごしたり、仕事終わってからも映画館に行っていた。綾野剛さん主演の「シャニダールの花」という映画を見た後、突然、内容をノートに書き出すということをした。それから映画を見るごとに内容を書き出していた。はしごした日は書くだけでも大変な作業量だった。全然内容を覚えていないことが情けなくて、映画館でメモをとりながら見ていたこともある。ノートを見ようにも暗くて見えないから、画面を見たまま手だけ動かして書いていた。終わってから見ると何を書いてあるのか分からないこともあった。どうしてそんな見方をしていたんだろう。今思うと、覚えていたかったからかもしれない。仕事はうまくいかない、資格試験もダメだった、人付き合いも苦手、世間でいいとされる幸せな人生とは程遠くて、結婚もしてないし、子どももいないし、バリキャリでもないし、一人で趣味に没頭している自分が、その自分がしたことを覚えていたかったのかもしれない。したことの証拠を残したかったのかもしれない。ノートもメモもまだ残っている。ちなみに、メモをとっても内容を覚えていないのは同じだった。

書くのが大変になってやめたのだけど、映画館には通い続けた。コロナで経営が大変なミニシアターを救おうというクラウドファンディングが立ち上がったとき、橋本愛さんが応援コメントを寄せていて、それを見たとき私は当時のことを思い出した。「私は、昔映画に命を助けてもらいました。身体こそ生きてはいましたが、心の息の根は止まったままでした。」「その1日を埋め尽くしてくれたのが、」「映画館という場所で過ごす時間でした。」「私が唯一安心できる暗闇は、映画館だけでした。私の人生の時間は止まっていて、スクリーンの中を流れる時間だけを生きていればよかった。身体は一度死んでしまったら二度と生き返ることはできないけれど、死んだ心は蘇生することができる。生き返らせることができる。それができるのは、文化・芸術に他なりません。」まだ動画で見られるので、見てほしい。映画館で映画を見るということは、社会に何の役にも立たない、嫌いな言葉なんだけどなんの「生産性」もない。でも、その時の自分には必要で、役に立たないし生産性がないからこそ、必要だったんだと思う。忙しかった時期は、あんまり記憶がない。その後は、生きている証みたいに見たという証拠を書き残していた。役に立つかどうかは関係なく、自分が見たいから見る、その感覚を取り戻したかった。

自分は役に立っていないから、価値がないと当時思っていて、何かを選択するにもこれは役に立つか、何の役に立つか、本を読んで何を学んだか、そんなことばかり考えていた。自分が見たいから、好きだから選ぶという感覚よりも優先していた。正直、こんなに映画を見て何になるんだろうと思いながら見ていたこともある。それでも、あの時映画館に通って、よかったと思う。当時はわからなくて、全部後付けの考えなんだけど、それしかできなかった当時、それをしてくれてありがとうと、当時の自分に言ってあげたい。