2021.1.14

寝るとき、NHKラジオの聞き逃しを流すことが多くて、最近は「朗読」を聞いている。今は夏目漱石の「三四郎」だ。三四郎は去年も放送していたのだけど、途中で終わってしまって、また再開したらしい。先週だったか、一番古いのから聞いたら、三四郎と美禰子がみなとはぐれてしまって、美禰子が「ストレイシープ」とつぶやく回だった。「三四郎」は前に読んだことがあるんだけど、忘れている部分も多くて、新鮮な気持ちで聞いている。
インターネットで聞く聞き逃しは、ラジオと違って、その番組が終わったら次の番組に続くということがない。番組が終われば終わり。先日、聞こうかなと思ったけど、電気を消して聞いているので、暗闇の中番組が終わって静かになるのが怖くて、かけることができなかった。初めてのことで、とまどった。静けさが怖い。もしかして、これが孤独?静けさが孤独?それが怖い?初めての経験だったので、あの感情が孤独なのかわかんない。
番組終わっても終わらないラジオを聞けばいいと思ったんだけど、スマホで聞いていると充電が心配。何度か聞き逃し聞きながら寝てしまって、起きたとき画面開いたままだったからか、充電がかなり減っていて、スマホで目覚ましかけているので、ひやっとした。鳴ってよかった。スマホじゃなくて、ラジオつけっぱなしで寝るか、目覚まし時計買うかしようかな。

なんか、音が欲しい時があるんだよね。それは、静かなのが怖いとは違うんだけど。音が欲しい時がどういう時かは分からないけど、音が煩わしい時は分かる。車の運転中。特に、初めての道で地図とかみないと分からない時。車の運転って色んな事に気を遣うから、歩行者、対向車、車線変更時の周りの車、標識とか、音があると気が散ってしまう。何度も通っている道ならいいんだけど、それでも大雨とか道が凍ってるとかのときは、音がだめになる。そう考えると、音が欲しい時って緊張していない、リラックスしている時なのかも。カフェで読書している時、BGMは気にならないんだけど、たまーに、読んでいる本が面白くなくて集中できない時とか、疲れていて集中できない時は、BGMがやたらと耳に入ってきて、結果読書が進まないということは、ある。
こんなことを思い出し、考えながら、静けさが怖くてラジオを聞けないことと、孤独の関係を探ろうと思ったけど、わかんなかった。この先暗くて静かな夜ばかりだけど、まあ、なんとかやりすごしてやっていこう。