2021.1.25

沖田修一監督の「このすばらしきせかい」を見た。感想にはネタバレがあります。

高校生の涼一は、同級生に怪我を負わせて以来、学校に行けず家に引きこもっている。そんなある日、仕事で失敗した叔父の清が一緒に住むことになる。変わり者の叔父を最初は疎ましく思っていた涼一だが、一緒に過ごすうち心境が変化してくる。

叔父の清は、過去にパソコン関係の会社をつぶし、自己破産して、薬を大量に飲んで入院、退院して涼一の家に住むことになった。多分30代後半。家に来てすぐ、清はお腹すいたから何か作ってほしいと涼一に頼み、涼一はチャーハンくらいなら作れると言って、それを作る。食べながら清は、チャーハンはぱらっとしていないと、こんなべちゃべちゃでチャーハン作れるなんて言っちゃいけないよと、文句を言う始末。しかも、涼一の家の物を買って売り払い、そのお金でウナギ食べたり、競馬に行ったりとどうしようもない。

涼一の同級生が、お前の叔父さん変わってるよなと言いながらも、好ましく思っていて、ひょうひょうとしていて、仕事もしないで気楽に生きているとそう受け止めているように見える。たぶん、自分が高校生の時見たら彼と同じように思っていたと思う。でも、中年になってから見ると、清の言動におかしさと悲しみが入り混じった感情を覚えて、ひょうひょうと見えるかもしれないけど、そんなんじゃないんだよと思った。ひょうひょうと見せないと自分がみじめに思えるって見栄もあるし、どんな顔してみんなの前に出ればいいのかわからなくて結果、ひょうひょうと見えてるってこともある。

清は姉の紹介でシロアリ駆除の仕事の面接を受ける。面接というか、姉同伴でマックで担当者はハンバーガーを食べながら仕事の説明をする。清は話を聞く姿勢を見せず、担当者が着ている制服に文句をつけ、彼のポテトをつまんで食べるという、とんでもない行動に出る。清がポテトを食べようとする、姉が手をはたいて止める、というのを繰り返し、その場違いな行動に思わず笑ってしまうのだけど、清がなんでこんな行動をとるのかと考えると、なかなか悲しいものがある。清の行動に、態度にその会社で働きたいという意思表示はまるでない。でも、そもそも担当者が清を見下している。清の行動にきれて、担当者はおたく自己破産してるんでしょと言い放つ。相手が清じゃなかったら、彼は混んでるマックで昼ご飯をすますついでに面接をするだろうか。私には清の態度や行動が、自分はこんな扱いを受けていいわけがないと言っているようで、必死で自分を守っているように見えた。

清が涼一と涼一の同級生とカラオケに行く場面がある。清が歌うのは小坂明子の「あなた」だ。「もしも私が家を建てたなら」ではじまる、将来はこんなふうになれたらいいなを歌う歌詞だが、まだ叶っていない未来を歌う歌というよりは、清が歌うことで、叶わなかった理想を歌う歌という印象が強くなってしまい、理想と現実のギャップが苦しい。

極めつけは、世界一周に出ると涼一を連れて出た清が、旅館でつぶやく一言だ。スナックで清と涼一は踊る。その夜、涼一が明日はどうするのと聞くと、清は帰るんだよと答える。まだどこかに行こうよと言う涼一に対し、清は「叔父さんは千葉で精一杯だ」とつぶやく。ここで、ぐっときた。泣きそうになった。中年になると、自分はどこまでも行けるわけじゃないと気が付く。頑張っても必ずいい結果が出るわけじゃないと気が付く。そのこと自体は悪いことでもなんでもないと思う。それに気が付くとき、私はおかしさと、悲しさを覚えた。自分はもっとできると思っていたけど、そうでもなかったと知ったとき、それでも今まで頑張ってきた自分がいとおしさをもっておかしく感じたし、同時に諦めとともに悲しさも感じた。そして、受け入れても世界は変わらないし、自分も変わらない。ただ、私は少し楽になった。

叔父さんは家を出て、涼一は学校に行けるようになる。どうして涼一が学校に行けるようになったのかは、正直私にはわからなかったのだけど、学校に行けなくなってしまった涼一は、学校休めて気楽でいいよなって思われてるかもしれないって、俺の気持ちも知らないでって思っていたかもしれない。

がっと盛り上がる場面もないけど、淡々とした作りがよかった。