2021.7.6

「いとみち」を見た。感想にはネタバレがあります。

舞台は青森。高校2年生の相馬いとは自分の訛りが強いことを気にして、人とうまくしゃべれず、そのせいで友達もいない。大会で入賞するほどの三味線の腕前だが、脚を開く演奏スタイルと、頑張るあまり眉間にしわが寄っている姿で人前でするのが嫌で、最近は演奏していない。いとは幼稚園の時に母親を亡くし、三味線を演奏する祖母と、民俗学者の父と暮らしている。父は東京出身で、未だに祖母の話が聞き取れないことがある。祖母は母に三味線を教え、いとは2人の演奏を聞くうち、自然に三味線を覚えた。ある時いとはお金欲しさにメイド喫茶のバイトをはじめる。失敗もするが、バイト先の先輩や店長とも仲良くなり、いとはバイトが楽しくなってくる。しかし、オーナーが逮捕されたことで、メイド喫茶は存続の危機に立たされる。

いととおばあちゃんの訛りが強くて、聞き取れないことも多い。まあ、文脈でこういうこと言ってんだなって理解はできる。覚えたのは、おばあちゃんが言いう「こ け」。「これ、食え」ってことだと思う。言いながら差し出しているのはなんだろうと調べたら、「干し餅」という餅を乾燥させたものみたい。青森の空襲の話があったり、三味線の修理の映像があったり、地元出身バンドの曲を使っていたりと、青森という土地に真摯な映画だと思った。女子高生とメイド喫茶という組み合わせも、真っ先に性的に搾取されてしまうことを懸念するが、横浜聡子監督なら安心して見られる。監督に対する信頼感は映画選ぶうえで重要だな。いとが客にお尻を触られて転んでしまうシーンも、そこを描いていないので、見ているこちらは一瞬何が起こったのか分からない。少しの沈黙の後、智美が「今この子のお尻触りましたよね」と震えた声で言う。幸子も工藤店長も常連客も、いとが痴漢されたことを「そのくらいで」とか「笑顔でかわさないと」とか、言わない。痴漢が絶対悪いって言う。申し訳ないと謝ってしまういとに幸子は、あんたは悪くないんだから謝る必要はない、その考えは間違っているし、自分もみんなも傷つくって言ってくれる。はっきりセリフにしてくれるのが嬉しい。

ラスト、父親と山に登ったいとは、山頂から自分の家の方角に大きく手を振る。いとの家の前では後姿の女性が山に向かって手を振り返している。この女性は、いとの母親かなと思った。いとは、メイド喫茶を続けるために三味線ライブを行うことを決める。人前で弾くことを嫌がっていたいとが、大事な場所を守るために人前に立つ。最初、脚を閉じて演奏しているんだけど、後半、嫌がっていた、脚を大きく開く姿勢で演奏するのは、ぐっときた。いとが三味線から離れていたのは、もうひとつ、お母さんのことを思い出してしまうからではというのがあった。いとが思い出す母親はたいてい三味線を弾いている姿だ。再び三味線を手にしたいとの成長を表現しているように思った。

いとが三味線ライブやりたいって言ったとき、工藤店長が、普通は今閉じるのがいいって言うと、幸子が「主語だれ?」って聞くんだよね。そしたら、店長が、本当はみんなとたのしいことがやりたいって本音をもらす。東京で働いている時も、今も不安で仕方なかったって言う。東京で働いてて、Uターンで青森に戻ってきた店長。年下女性にも常に敬語で、注意する時も高圧的な態度にならない店長。いとが痴漢されたときは犯人との間に立ちはだかっていとを守る店長。法律にも詳しい店長。この作品で工藤店長が気になって仕方がなかった。演じている中島歩がまたいいのよ。いい映画でした。