2022.6.22

腰の調子はいいのに、心の調子が悪い。連動しているのかと思うときもあれば、ばらばらな時もある。今日天気悪かったし、そのせいだな。別に原因を見つけないといけないわけじゃないのに、なんで原因を見つけたがるんだろう。ちむどんどんの歌子が、熱を出して会社を休みがちなったことで、退職して、大きな病院で調べたけど原因が見つからなかったって、先週の話ね、そしたら歌子が落ち込んでいじけて、生きていても意味がないって言う。昔から歌子は自分が体が弱いことで家族に迷惑をかけていると思っているし、それが原因で会社を辞めてしまったこともあって、そして目の前には健康で元気で東京で夢を叶えた姉がいる。その歌子に優子が、幸せになることを諦めてはいけないと伝える。得意なことがあって、才能があって、夢があって、それを仕事にできる人は、叶えることができる人は、そのために努力できる人は、素晴らしい。でも、優子はそうじゃなくても、そうできなくても、生きているだけで素晴らしいんだと言ってくれる。優子はいい母親だよね。そう思っていても、実際にはそうできない人も多いと思うけど、自分だって自分に対してそうだし、優子は一貫して、子どもたちに生きているだけで素晴らしいという姿勢でいるよね。歌子がそれを素直に受け止めて、デザート美味しかった、パンダ見たいと、走り出していてよかった。もう少し自分で受容するのに時間かかりそうではと思ったけど、歌子が元気ならそれでよし。どうして、生きているだけで素晴らしいと思えないのかね。仕事はもう変えようがないんだから、お金のため生活のためと割り切って、まあ、割り切ろうができなかろうが、現実は変わらない。受け入れようが受け入れまいが、認めようが認めまいが、これが現実。その現実を生きていくしかないの。でも、これでいいとは言い切れない。あーめんどくさい。誰かに評価されたいのに誰にも評価されたくない。自分で自分を評価して落ち込んでいる。評価基準が仕事で役に立っているか、仕事で信頼を得ているか、そこに基準を置く限り無理なのよ。評価なんかいらんとは、言い切れない。