2022.8.10

明日から5連休。月曜と昨日半日休んでいるけど、12日も休む。休みすぎではと罪悪感を覚えている自分もいる。一瞬、12日用事があるわけじゃないし出勤しようかなと思ってしまった。

今、聞き逃しで荻上チキさんのラジオ聞いてて、ウェルビーイングという考え方についての回で、コーピングの話を思い出した。ウェルビーイングとは持続可能な幸せという考え方で、いい時も悪い時もあるけど、ストレスとうまく付き合いながら生きていくことを目指すみたいな感じかな。そのストレスとの付き合いかたで出てきた言葉がコーピング。気分転換とか、気を逸らす方法というか、例えば自分だったら、落ち込んだら日記を書くとか、まさにこれがコーピング。このコーピングを多く持っている方がいいと言っていた。そこでチキさんが言っていたのが、日本ではコーピングを悪いことだと言う風潮があるということ。例えば、生活保護を受けている人が、お酒を飲んだり、煙草を吸ったりすることに対して厳しい意見があるけど、これだってその人にとってはコーピングになりうる。他人のコーピングに文句を言ってはいけない

それで思ったわけ。自分も自分に対して、夏休みを1日取るという行為を悪いことだと思っていると。たった1日だよ、けちくさい夏休みをたった1日取るだけで、罪悪感を持ってしまう。まあ、1日半休んでいたこともあるけど。ちょっと曖昧なんだけど、コーピングが下手な人の特徴で、自分を責めるということがあるらしい。まさにこれ。

話はずれるけど、会社でのコーピングについて考えてて思い出したが、映画「勝手にふるえてろ」のヨシカの会社で、昼休みに女性社員集まって昼寝するというシーン。部屋で横になって電気消してみんなで昼寝するの。私は昼休みも一人でいたいんだけど、自分にとっては目をつぶるという行為がコーピングになるので、これならしたいと思った。席で一人で目を閉じていたら落ち着かないけど(たまにやってるけど)、これなら安心して目をつぶれるなと、映画見ながら思った。

「PERMAの法則」というのがあって、幸福を構成する5つの要素の頭文字。Pがポジティブ感情、Eが関わり、没入、楽しいことに関わる、Rが豊かな人間関係、協力してくれる人を見つけること、Mが人生の意味や意義、Aが達成。

この話で南部さんが、仕事がやりがいで人とのつながりもあるし達成感もあるけど、家で一人になると色々考えて落ち込んでしまうみたいなことを言って、チキさんが南部さんのように仕事でやりがいがある人はいいけど、ない人やそういうものを望めない人で、家でも一人の人はまずいですねって言ってて、ああ、やっぱりまずいのかと思った。仕事にやりがいを見出すことも、私生活で人とつながることも両方難しい。両方は無理でも、どっちかならできると思えればいいんだけど、本気で両方難しいんだよね。まずいのは分かってんだけどね、どうにかできるかどうかは別の話。でも、まずいと思っているだけいいよね。仕事はどうやっても無理だから、自分ひとりの力でどうにかなるものでもないし、私生活の人間関係を頑張るしかない。仕事のこととなると僻み根性がひどいので、考えないようにしよう。でも、生きていく上で一番難しいのが人間関係でしょう、それを自分にできるとは思えない。いや、いきなりうまくやろうと思わなくていい。なんか、できそうなところからで。なんか、あるはず。それも、うまくいくとは限らないけど。

Eはできているな。これは頑張らなくてもできる。だからどんどんやっちゃう。1個だけできてもバランス悪いんだろうね。仕事にやりがいがあったら、一気に全部満たすことができるんじゃない。でも、仕事内容とMも方向性にもよるのか。全部を満点にする必要はないけど、半分くらいにした方がいいのかな。Aも、小さいことでもいいはずで、例えばEで没入した本が読み切れたとか、そんなんでもいいよね。ラジオで精神科の先生がとらわれ過ぎるのもよくないと言っていたので、とらわれ過ぎない方がいい。あ、でもよく見たら仕事とはどこにも書いてないんだよね。南部さんの話に引っ張られ過ぎたのかも。南部さんは悪くない、自分の捉え方の問題。仕事以外で達成出来たらいいんだろうけど、体力と気力が倍になって、1日が72時間になって、でも睡眠時間と働く時間はそのままか、週3日労働くらいになってくれないと、難しいかも。仕事で時間と気力と体力奪われちゃうんだもん。だからと言ってフルタイム以外の働き方にしたら給料も将来の年金も減る。何か大きいことじゃないとだめと思い込んでいるから、今の生活だと難しいと感じるのかな。できることがあるはず。