2022.11.18

諦めることと、楽になることは別なのかもしれない。まだ転職活動している時の方が、ましだったもん。まだね。ここを辞められるんじゃないか、変われるんじゃないか、そう思えるだけ、今よりよかった。楽になれないのは、諦めてないからじゃなくて、じゃあ、なんだよ。楽にはなれないのか。一生悩むのか。楽にはなれないのが通常で、取れない体の疲れと同じで、だったら、うまく付き合っていくしかないのか。運慶さんに願ったことは叶わないのかな。暇だから悩むたって暇なんだからしょうがないじゃないか。だから運慶さんに願ったんじゃん。聞いてたの。神にとってみたら助けるに値しない悩みんだろうけど、結構辛いんだけど。

非通知から4回着信があった。登録していない番号は出ないようにして、番号表示されていたら調べる。何かあったら留守番電話残してくれるでしょう。

「つまらない住宅地のすべての家」、結構面白かったんだけど、津村記久子原作なのかなって疑問に思うこともあって、とある記事を読んだら、原作とは結構違うらしい。ドラマだと住人同士が見張りを通じて交流するけど、原作はそんなに交流しないらしい。やっぱり、ここがちょっと津村さんの書くのとちょっと違うなって感じていた部分だった。山崎さんは、大企業で働いてきたのに、介護離職。親が亡くなった後は、スーパーのパートという描写が気になったんだけど、特に言及なかったな。持ち家があるからスーパーのパートでも暮らしていけるのかな。それとも、仕事決まらなかったのかな。大企業で活躍していたキャリアがあっても中年独身女の再就職は難しいのかな。そうだよね。男性だって難しいんだから、女ならなおさら。自分みたいな独身中年女でも、スーパーのパートで一人暮らしできる給料なら、そうするかな。笠原さんは自分から見張りの時の夜食を作り始めたとはいえ、それが当たり前のように毎回受け取られるのはムカつかなかったのかな。笠原さんは料理をすることが好きで、夫が亡くなってから作って上げる人がいなくなって張り合いがなくなっていたのが、また振る舞える場ができて喜んでいたのは事実なんだけど、女性を無償の家事労働に押し込めている感じがして、いまいち釈然としなかった。でも、最後は大柳さんが一緒に作ってる雰囲気だったので、いい着地点だったなと思った。

人から心無い言葉を投げかけられて傷ついても、これを飲めば忘れますって薬が欲しい。言った側はすぐ忘れるから気にするだけ、傷つくだけ無駄って言うけどさ、なんで言われたこっちがそんなこと言われないといけないの。言った方が言うなって言ってほしい。言うなよまじで。

そうするかなって、考えながら書いてて、それでも生活できるなら、選択肢が増えるから、やるやらないは別にして、気持ちは少し軽くなる。選択肢が増えるって大きい。あーだめだ、選択肢を増やそうと思ってできなかったことを思い出してまた落ち込みそう。もう自分では無理だったんだもん、他力よ、早めに来い。だいたいさ、スーパーのパートでも中年独身女が一人暮らしをできるかどうかは、こっちの問題じゃないよね、政治の問題よね。

防衛費を増やすために増税なんてとんでもない。今すべきことは、消費税減税でしょう。札幌オリンピックだって反対だけど、他に開催する地がなくて押し付けられそうじゃない。いらないから。

年末調整の書類を出したら、早い、5番目って言われた。昔はぎりぎりまでやらないタイプだったんだけど、最近は早めにやってるんだよね。なんでだろうと考えたら、まず、年末調整については、毎年書く内容が変わらないので、去年のをコピー取っておいて、それを見て書けばいいだけにしてある。調べる、検討する、決めるという工程があると、めんどくさくて先延ばしにしちゃうけど、やることが決まっていれば、すぐやる。工程を減らせるものは減らしていこう。

もう仕事やだな。でも辞められないし、他で雇ってももらえないし、自営なんてできる能力がない。やめやめ。ここを考えると出口がない。貧困状態に陥らないパートの仕事なんて自分の能力では望めないし、今を続けるしかないんだよね。きついこと。でも、多分仕事あるだけ恵まれてるんだろうな。

「歴史再発見 食の流行から見る暮らしの近現代史」第2回は「明治のあんパンブーム」で、タイトル見た瞬間、相馬黒光が思い浮かんだんだけど、出てきたよ。パン屋が初めてできたのは、横浜。やっぱり港があったから、西洋の文化が最初に根付くんだね。鎌倉に行ったとき、地元の情報テレビでドリア発祥の地は横浜のホテルニューグランドって特集を放送していた。居留地だったから、ホテルにも外国人の客が多く、ある時具合が悪い外国人のために、料理長がのど越しの良いものを作ったのが始まりらしい。まあ、ドリアののど越しがいいか、具合の悪い時に食べたいかは疑問なんだけど、そうなんだって。ホテルのホームページにも詳細載ってるよ。で、あんパンを最初に作ったのは、御存じ「銀座木村屋」。でも最初は全然売れなくて、山岡鉄舟明治天皇に食べてもらう機会を作って、天皇が食べたことから、売れるようになったんだって。木村屋は、ジャムパンも日本で最初に作っている。この辺りも、ホームページに載っている。

で、相馬黒光はいつ出てくるかと言うと、クリームパンを最初に作った「中村屋」として出てくる。夫の愛蔵と共に、高等教育を受けた人がパン屋を開くのは珍しいことだったらしい。2人がインテリのため、お店には作家らが集まり、サロンのようになっていたと。私にとって黒光といえば、明治女学校で一緒だった「問題の女」こと本荘幽蘭を助けてくれた人。本にも何度も名前が出てくる。あと、柚木麻子さんの「らんたん」にも出てきたような。そういえば、この2冊近い時期に読んで、ここに出てくる女性の本を読もうと思ったこともあったな。読みたい本が多すぎる。でも、思い出せてよかった。

今回、ホテルや店のホームページ見たんだけど、老舗と言われる店のホームページに載っているお店の歴史は、おもしろいね。中村屋の歴史はすごいボリュームよ。創業者の生い立ちから始まる。木村屋は字が小さい。木村屋の最初の看板は、鉄舟が書いたんだって。そういえば、鉄舟は書に長けていると、なんかで読んだような、気のせいなような。この看板は火事で燃えてしまったんだけど、ラジオ聞いてても火事が結構出てくる。建物は木造だから火事が起こったら全部なくなってしまうのね。