2023.1.5

明日行けば3連休だ。昨日日記を書いた後、去年の年末年始の日記見返してみたら、NHKロッキード事件の特集見て、他のも見たいって書いてた。叶ってる。帝銀事件と尼崎の事件見れた。「エルピス」見た後、飯塚事件のこと調べようと思ったら、特集が放送された。尼崎の事件は怖かった。被告みたいな人に目をつけられてしまったらどうしたらいいんだろう。年末年始にそんなことを考えて暗くなった。

映画と本の年間ベストは、本は出せたけど、映画が出せない。4本しか選べなかった。年間200本近く映画を見ていた年の手帳を見た。その年に見た映画や、読んだ本を記録しているページを見た。この頃は映画の年間ベストを出すのが難しくて、それが楽しかったんだけど、本をほとんど読んでいない。本の年間ベストを出すというのは、考えもなかった。今は逆になっている。数かなと思ったけど、去年の下半期で50本強見ているし、前半は数えてないけど、同じくらいとすると年間100。一番見ていた時に比べると半分だけど、少ないとは言えない数だと思う。コロナが流行ってから家にいる時間が増えて、それまで映画館に行っていた時間を本に充てるようになったってことかな。環境が変われば、また映画の方に時間を取るかもしれないし、取らないかもしれないし、わかんないよね。

先月カットに行ったとき、白髪を切ろうとして間違って周辺の数本を切ってしまった箇所のことを相談してみたら、真上には伸びず、周りの毛に馴染むから大丈夫だと言われた。まさにその通りになって、カットに行く前はちょっと目立つかなと思っていたけど、今は全然分からない。よかった。

物事のいい面だけを見よう。こじつけでも現実逃避でも構わない。そうしないとやってられない。いい面、明後日から3連休。いいね。読んでいる本がおもしろい。それはいいことだ。5億当たったら会社辞めれるし、辞めなくてもいつでも辞めれると思えば心安らかに働ける気がする。仕事が辛くなかったら、人生まだましだったのかな。いい面、お金が入る仕事がある。お金があるから食事ができる、部屋を借りられる、趣味を楽しめる、精神が安定する。どうしてこれで満足できないんだろうとは考えない。ただ、私はそれで満足できていないということで止める。どうしてとなぜはなし。こんなに不安で、精神安定しているのかな。

職場の人で年末年始に海外に行っていた人がいて、今は特に現地に着いてからの隔離期間とかもなく、スマホにワクチンの接種記録や当日の体調などを登録すると、それで検疫がスムーズに行くらしい。前にも行ったことがある場所だったみたいで、以前に比べると店とか潰れていたって。来年は長めの休みが取れそうだから、海外はその時検討しよう。状況が劇的に良くなっているということはないけど、長めの休み取れるときなんてそうそうないし、海外行きたいよう。

仕事に依存しているって本当だな。だって辞めたら生きていけないもん。そうなったら生きるのをやめればいいんだけど、それができなさそうだから不安だし、しがみつかなきゃって思うんだよね。仕事しないでしたいことはあるんだけど、仕事しないとお金がないからできないんだよね。一昨年の12月の絶望名言がお金にまつわる絶望名言で、渋沢栄一が仕事で得たお金は搾りかすだって言ってて、いつもと違う絶望を味わっていた。搾りかすがないと生きられないもので。でも、大半の人がそうだよね。それがいい悪いじゃなくて、それしかないんだもん。渋沢栄一は選べる立場だもん。選べる立場だったら、自分も言ってたかもね。うわ、想像したら偉そうって思った。

応援している本屋さんがあって、キンドル買ってからは紙の本を買うの控えているので、図書館では閲覧のみで貸し出してない雑誌とかZINEを買った。去年の11月くらいから欲しいZINEが1冊あったんだけど、送料かかるからどうせならもう1冊何か欲しいの出るまで待とうと思って、今日ようやく買った。ZINEっていいよね。作ってみたいけど、何を書いていいかわかんないんだよね。大学院も行ってみたいけどなに研究したいかわかんないって言ってるし、普通逆だよね。書きたいもの、研究したいものがあるから、ZINE作ろう、大学院行こうってなるよね。放送大学はもうしばらく休むかな。批評の本は去年の末から借りて、読んでる。「批評理論入門」といって、副題は「『フランケンシュタイン』解剖講義」。メアリー・シュリーの「フランケンシュタイン」をいろんな批評の方法で読んでいく、実践の本。1冊の本を、こんなに多様な読み方ができるのかって驚く。タイトル硬いし、中公新書の表紙は多くの新書の中でも難しそうって印象を受けちゃうデザインだけど、読みやすい。入門というだけあって、放送大学で批評の授業を受けていなくても、これは読めるなと思うくらい、読みやすい。ちなみに、「フランケンシュタイン」は読んだことなくて、あらすじ知ってるくらいなんだけど、フランケンシュタインが怪物の名前だと思ってた。フランケンシュタインは怪物を作った人で、怪物に名前はない。もう1冊借りてるんだけど、期限までに読めなさそう。次の予約が入っていて延長できないので、期限までに頑張って読まないで、一旦返して、また借りよう。

シーラがずっと自分のこと責めてるのきつかったけど、なんだかんだ言っても、シーラは全然役立たずじゃないし、才能あったもんなと、唐突に思う。別に役に立たなくても、才能なくても自分のこと責める必要ないんだけど、でも、正真正銘の役立たずが自分のこと役立たずって責めても、確かにで終わるよね。だって事実だし。いや、でも事実でも、自分を責めるのは辛いよ。それは事実だろうとなんだろうと、変わらないよ。辛い方に行かなくてもいいじゃないか。誰が一番自分を責めているかって、自分なんだよね。シンクにたまったお皿も、洗ってない洗濯物もあなたを評価するものではない、それはただの皿と服。自分の場合の皿と服はなんだろう。