2023.3.6

むなしい。ひたすらにむなしい。

土日両方ともモーニングに行った。先週行こうと思ったけど、起きたら行きたい気持ちがなくなっていたカフェに行った。だいたい同じ時間に行ったんだけど、土曜日は空いてたのに、日曜日は混んでいた。「地図と拳」を重いけど持って行って読んだ。土曜日はカフェを出た後図書館に行って続きを読んだんだけど、図書館には本がたくさんあって、あれも読みたいこれも読みたいと気になっちゃって集中できなかった。しかも周りの人英語とか資格試験の勉強とかしてて、焦るし落ち込む。そんな中でも、旅行の本は少しめくってきた。旅行、行きたい欲は少し戻ってきたけど、前ならもっと調べてたのがそこまでにならないので、気持ちを盛り上げるために、めくってみた。けど、いまいち盛り上がらない。カフェで読んだ方が集中できるから、空いてるし、レシートに2杯目半額のクーポンついてるし、明日もカフェに行こうと思ったら、日曜日混んでる。近所のモーニングやってるパン屋と迷ったんだよね。モーニング行くには8時半から9時には家出るから、その時間だと最近寒くて行っていなかった。昨日は結構暖かかったから散歩がてら行こうかなと思ったんだよ。まあ、混むといっても前の日に比べてで、満席にはならないから、おかわりもしてたっぷり読んできた。

今の選択が将来の自分を苦しめると分かっていても、どうしようもできない。これしか選べない。とりあえずやりすごす。やり直したい。最近日の出ている時間が長くなって、春に近づいてるんだなと思うと、憂鬱になる。春は新生活が始まる、スタートの季節ってイメージで、でも自分はずーっと何にも変わらないから、そういう雰囲気が嫌になる。冬の暗くなるのが早いのも憂鬱で嫌なのに、勝手なこと言ってるとは思う。でも、春になる方が断然憂鬱。キャリアのこと、将来のこと、仕事のこと考えないで生きたい。手に入らないものを諦められるようになりたい。理想の自分を殺したい。理想さえなければ現実に圧し潰されることもない。むなしさを覚えることもない。むなしい。これが、世に言う中年の憂鬱ってやつでしょ。中年の間続くとか無理。長くない?金曜日、先週みたいに落ち込んで、似た状況の人の様子を見て、自分だけじゃないって自分を慰めていた。期待するのをやめたい。何に期待してるんだろう。悪い変化しか想像できない。

前に終えた英語文法の本と、同じ著者の別の本を借りた。今回借りた本を最初本屋で見つけたんだけど、難しそうだったので、まず図書館で借りてみようと検索したら、同じ著者の最近出た本が出てきて、それが最初に借りた本。こっちの方がより入門向けだったので、まず入門向けを終わらせて、今回の本で勉強する。むなしさとか憂鬱とか焦りとか不安とか、それらを紛らわすには何かに没頭するのがいいらしい。本と読んでるときとドラマとか映画を見ているときがそれかな。でも、自分がコンプレックス持っているものの描写があると、一気に現実に引き戻されて、現実と比べて落ち込む。英語や放送大学の勉強は、こんな仕事の役に立たないもの勉強してどうするんだと思ってしまうと、ここでも落ち込む。仕事が人生の総てではない、仕事の評価だけが自分の評価ではない、仕事がうまくいってなくてもそれが全てではない。分かってんだけど、じゃあこのむなしさは何?それは中年の憂鬱。落ち込む必要はないけど、落ち込んでしまったらそのことに落ち込むことはない。落ち込んで当然憂鬱で当然むなしくて当然。ここに更年期の気持ちの浮き沈みもプラスされたら、どうなってしまうんだろう。母親はそんなに更年期なかったって言ってたから、これが遺伝するなら心配ないかもだけど、今度会った時に詳しく聞いてみよう。

没頭しよう。虚構の世界にいると少し楽になれる。現実は見ないように、虚構の世界に没頭しよう。没頭しているうちにさらに年齢重ねて、もう完全に取り返しがつかなくなったら、今度こそ諦められるかな。もう見切りをつけた方がいいことは分かっている。自分を過大評価しているのかも。現実を受け入れる力がほしい。私と同じ人生を歩んでいても、それでいいと思える人がいるかもしれないんだよね。いたら、話を聞いてみたい。「何から解放されるんだ」って聞くクソ野郎上司に、「私をうんざりさせる人間からの」と答えるミジョン、最強では?私も解放されたい。誰かに話を聞いてほしいけど、否定されたくないし、アドバイスもされたくないし、慰められたくもない。解放クラブの会合が、労わらないのがルールで、「生きづらさを克服する会」を思い出させた。

土曜日は、こないだ買ったオーバーオールを着ていった。かわいい。コート羽織ると見えなくなってもったいない。春は嫌だけど暖かくなってほしい。どっちだよ。