2021.1.10

ネットフリックスで「40歳の解釈、ラダの場合」を見た。感想にはネタバレがあります。

ラダはあと数か月で40歳になる。黒人女性で、昔賞も取ったことのある脚本家だが、ここ数年は脚本の仕事はなく、高校で脚本を教えている。エージェントのアーチーが仕事を紹介してくれるが気に入らず、最近母親が亡くなったことも重なって落ち込んだラダは、今の気持ちをラップにのせて歌う。

アーチーはかなりいい人だし、学生時代歌詞を書いていた設定なので、最初からラップがうまいし、ネットで知っただけのDがラダのラップを気に入ってくれて協力的で恋愛関係にもなるという、ちょっと都合のいい展開はあるが、おもしろかった。何よりよかったのが、中年独身女が主人公だと、これから結婚するかしないか、子供を持たなかったことの後悔なんかがある意味定番で出てくるが、今作にはその2つが出てこないこと。あいにく、中年独身女の悩みはその2つだけじゃないんでね。あと、Dが26歳でラダとは年の差あるんだけど、物語の中で男女逆ならざらだしね。

グッときたのは、母親を亡くしたばかりのラダがDと「ママ ママ 聞いて」とラップをするこころ。ラップをやろうと思いつく直前にも、泣きながら「ママ どうしたらいいの」って語り掛けるシーンがあって、自分も親を亡くしたらこうするんだろうなと、悲しくなったし、怖くなったし、でも、これが支えでもあるんだなと、少しほっとした。

ラダがDの前で披露したラップは「貧困ポルノ」がテーマ。作品の中では黒人は悲劇的に扱われる、子供は家の前で撃たれ、母親は薬づけ。ラダの書いた脚本はハーレムを舞台とした「ジェントリフィケーション」がテーマ。ジェントリフィケーションとは、都市の高級化という意味で、低所得者が住む地域が再開発され、裕福層が住むようになること。この脚本が舞台化されるが、出資者の意向により内容が変えられ、ラダはそれが受け入れられない。でも、お金のために妥協する。作品は白人が感動できるように作り替えられていて、初日の観客席では出資者とプロデューサーの白人は感動し、見に来ていた黒人はあきれている表情というのが映し出される。

信念を曲げて脚本を書き換えた自分が許せないラダは、舞台を見ることができず、劇場のトイレに閉じこもる。舞台が終わり、出資者に呼ばれて舞台にあがるラダ。挨拶を求められ、当たり障りのないことを言おうとするが、抑えきれずラップで舞台を非難する。その中で「この選択でよかったのか」って不安を吐露する。ここもグッときた。ラダはいつも頭を布で覆っていて、Dに理由を問われても答えない。ラダとDは、ラダが不本意ながら脚本を書き換えたことが元で気まずくなっていた。舞台初日の前日、ラダはDの留守電に「布を巻いているのは、不安だから」と打ち明ける。で、この初日には布を巻いてないんですよ。じゃあ、不安じゃないのかなってなるけど、そう簡単にはいかないよね。意を決して布をとっても(そんなシーンはないから妄想だけど)、やっぱり不安だし、この選択は正しかったのかって迷う。40は迷う。中年は迷う。

ラスト、Dと並んで歩くラダの後ろ姿。それまでモノクロだった画面が最後だけ色づく。いい終わりだった。