2024.6.25

だめでいいだめでいいは、効くかも。あきらめるとだめでいいでいこう。一番効かなかったのは、余生と思う。余生が長すぎて怖くなってきた。怒涛のラジオプロモーションは、ファンの人が頭出ししてツリーにつなげてくれていて、その人が更新されたら聞くという、完全に人に頼り切ったスタイルなんだけど、土曜日に全部聞ききってしまい、何を聞こうか考えるのがめんどくさいので、1回聞いて面白かったのを聞けば間違えがないと、「オーバーザサン」を最初から聞き返した。そしたら、全く覚えていないので、新作を聞くかのように楽しめた。今6の途中までで、時々、あ、これは覚えているというのがある。6では、堀井さんが家出をしてカプセルホテルを泊まり歩いていた話。この頃は今と比べると、もっとラフというか、くだけている感じ。このくらいの感じがよかったな。

叔母が亡くなった。両親の兄弟は、父親の姉が若くして亡くなったのを除けば、みんな健在だった。叔母は両親より若い。両親の死を考えると憂鬱になる。葬儀は行かないことにした。離れているから2日間休み取るのが、気が引けて。市内なら時間休で行けるけど。全然交流なかったし。薄情かもしれないけど、仕方ない。今回は問題なく部屋を借りられたけど、次の引っ越しはどうだろう。保証会社が入ると保証人はいらないけど、緊急連絡先は必要。今回、父親の年齢記入して、どきっとした。ああ、もうこんな歳なんだ。人が死なないということはないから、どうあがいても無理なんだけど。ネットの端子を外してもらうのに訪問日程を決めようとしたら、平日は6時まで、もう土日は埋まっているとのことで、よく思うんだけど、銀行も役所もこういう訪問も、月金フルタイムで働いている一人暮らしはどうしろというんだ。自分でも外せるみたいなので、自分でやることにしたけど、家族単位で考えられてるから、妻がやることになってんだろうな。妻いないし。妻にならないし。長生きしたくないけど死にたくないし。

上半期ベスト出している人いたけど、もうそんな時期か。早いなあ。

一時期はどうせ死ぬどうせ死ぬととなえて気持ちを落ち着かせていたけど、死にたくないし、死ねないし、でも長生きはしたくない。長生きによって引きおこるであろう、仕事、家賃、賃貸契約、病気、入院などの問題がいや。どうにかできる気がしない。存在すら知らなかった超遠縁の伯父か叔母が財産を残してくれればどうにかなる。つまり、どうにもならない。なんで生きるか死ぬかしか選択肢がないんだろう。一時停止的な、冬眠的な選択肢があればいいのに。でも、履歴書に空白ができるから、もう就職は出来ない。そうだった、選択肢があっても選べないんだった。フィンランドのような、長い休暇をとれるとしても、その後の生活を考えると、とれない。ミアカンキマキさんは会社に戻らず、旅をしながら本を書く生活を選んだけれど、自分にそれができるとは思えない。資本主義の定規で測ると、私は完全に落ちこぼれでだめなやつで、だからだめでもいいと唱えるのだけど、だめじゃないほうがいいに決まっている。仕事は出来た方がいいし、能力はあった方がいいし、人間関係が苦手じゃないほうがいい。

6人の女が終わった後も録画とりけしてなくて、イタリアのドラマが録画されている。1話の途中まで見たみたら、テッドラッソ的な感じ。イタリアのドラマははじめてかも。

昨日も眠かったけど、今日も眠い。気圧のせいじゃなかったかも。まだ火曜日。明日仕事ヤダ、明後日もやだ。

ネットの業者が日割りできないので、今月末で契約切ることにした。1週間ばかりネットが使えない。まあ、日記の更新ができないことと、配信が見れないくらいかな。しょうがない。メールも確認できないけど、引っ越し関係の手続きはほぼ終わっているし、大丈夫かな。スマホあるし。あと、アマゾンあまり使わないために、日用品を楽天で買えるか、日時指定できるか確認しないと。途中までして忘れていた。

だめでいいだめでいい。でも、こんなこととなえなくてもいい人生がよかった。

『「おりる」思想』、著者は、「生き残る」ではなく、「生き直す」ことを提唱する。「生き直す」とは、一旦社会的に死んで、その後を、自分のルールで生きること(バランスは大切に)。引きこもり当事者の勝山さんが、「〇〇しないと大変なことになる」という、資本主義からの脅しに、引きこもりはもう大変になった後ですと言う。これは、確かに、と、引きこもりの人に対して思ったのではなく、自分の状況に対して思った。私も、大変なことになった、もうその後なのかもしれない。この人の本読んでみよう。今日予約すれば週末には借りられるけど、引っ越し終わってからの方がいいのか。あと、一旦社会的に死ぬ=おりるではなくて、生き直す=おりるなんだって。じゃあ、私はまだおりてなくて、死んだまま資本主義にしがみついている感じなのか。死んでんのに。