2021.6.1

最近寝つきがいいと思っていたのに、昨日は久しぶりに眠れなかった。ぐるぐるして泣いて、モネちゃんが朝岡さんに出会えて気象予報士という仕事を目指すのがうらやましかった。中年にもなって何かに出会えるのを期待している自分が恥ずかしいけど、情けないけど、やっぱりうらやましかった。でも、中年こそこの先の人生考えたり、何かを学んだりした方がいいんじゃないかと思う。だって、いつ死ぬかなんてわからないから、平均寿命くらいまでは生きると想定して、そしたら人生長くて、その長い人生今のままでいいのかなって思って当然だと思う。中年の危機という言葉があるくらいだから、そういう時期なんだよ。悩んで当然、むしろ悩んでいこう。もうこの性分は変えられないから、悩んでいこう。

何かを学んだりは、放送大学検討する口実なんだけど。「わたしの叔父さん」見たとき、デンマークでは社会人が会社を辞めて大学に入りなおすことが珍しいことではないという感想を目にして、いいなと思ったのを思い出した。昨日のニュースでバイデン大統領の予算案で、全市民が2年間コミュニティーカレジで無償の学習機会を提供するというのが含まれていると知って、自分だったら何勉強しようかなって考えてた。無償って大きいよね。院とか調べてことあるけど、結構お金かかるんだよね。でも、2年後に仕事に就ける気がしないから働きながらになるな。履歴書に空白があったら転職で不利になるって本当なのかな。転職活動してた時に履歴書や職務経歴書の書き方調べてたら、空白がある場合は有意義な時間の過ごし方をして、仕事につながることをアピールしましょうってあって、なんで有意義に過ごさないといけないんだろう、なんで仕事につながることが有意義に過ごすことなんだろうって思った。転職活動だから企業にアピールしないといけないことは分かるんだけど、空白が無駄だったと本人が思うなら無駄だったでいいじゃん。まあ、自分も無駄だったと面接でいう度胸はないけど。有意義と生産性は、言葉自体に罪はないけど、嫌いな言葉になっちゃった。閑話休題放送大学調べてても、新しいこと学ぶより大学で勉強したいたことをまた勉強するほうに興味がある。