2023.9.7

「想い出づくり。」見終わった。のぶ代は両親からも断られて泣いている中野を見て、結婚してもいいかなと思いなおす。それには2人もさすがに呆れるが、人から呆れられても非難されても自分のこうしたいを表明できるのぶ代は、すごいと思う。ただ、それと中野との結婚がいいことかどうかは別。のぶ代ははっきり意見できるし、結婚して1ヶ月で2人と会うのに東京出てきているし、のぶ代の性格からいって2人会うことを言わないで出てくることはしない気がするから、立てこもり事件起こしたのに会うのOKしたのかと思うと、中野も少しは変わろうとしているのか、と書かれていないこと想像していた。そのくらいのぶ代には幸せになってほしい。

久美子は妊娠。これは、あるかなと思った。マスターは久美子から根本の居場所を聞かれ、最近会っていないと答えるが、本当は家を知っていて、久美子が妊娠していることを告げて、ちゃんと考えろと諭す。マスターやっぱり慣れているよね。一度は根本のことを諦めた久美子だが、根本が迎えに来て、あっさりついていく。2人は結婚を決め、静岡に挨拶に行く。最初からこの2人は応援できなかったけど、どうなることやら。

2人が結婚したんだから、香織も結婚させるんだろうなと思っていたら、かなりの強引展開。根津甚八似の青山真一と出会って、1ヶ月で結婚。香織は初めて3人で飲んだ時に、好きな芸能人は根津甚八と言っていて、最終回のクレジットにも根津甚八の名前があったから出るんだろうなとは思っていたけど、まさかの展開だった。笑って見ていたけど、なんか誤魔化されている気もして、何かから目を逸らさせたいんじゃないかと、つまり、結婚という選択かなと思った。別に絶対結婚させるなとは思ってないし、彼女たちの決断としては書かれていたけど、誤魔化されている気がする。あと、香織と青山の出会いは、久美子が根本と去ってしまって、ホテルの朝食会場から一人で部屋に戻る途中、エレベーターに香織一人だと確認してから乗ってくる男がいる。その男が香織の部屋に押し入って、香織が抵抗していると所に、部屋の前を青山が通りかかる。部屋のドアが空いていて、その様子見ているのに青山は何もしない、香織が強いなと思って見とれていたと言う。いや、助けろよ。短いエピソードで香織に惹かれる描写がほしかったのかもしれないけど、性暴力をそれに使わないでほしい。どんだけ怖いと思ってんの。

続いて、「岸辺のアルバム」へ。中田喜子風吹ジュンが出てるんだけど、セリフ回しが「想い出づくり。」の古手川祐子と全く同じ。

「こっち向いてよ向井君」、名前のつかない関係がたくさん書かれていた。麻美と元気は、離婚したから一緒にいられないけど、坂井戸さんと美和子は、離婚したからこそ一緒にいられんじゃないかと言う。向井君と美和子は、これってどういう関係?付き合ってるの?を脱出?してからの方が話しやすそうに見える。向井君と坂井戸さんは飲み友達?でも飲んでなくても会っているから友達?と向井君は考えていて、2人とも一緒にいるのが楽そうに見える。そして、名前のつかない関係は、もう会わなくなっちゃうが、簡単に訪れてしまう。会う努力とか、つながっている努力が必要で、私はこれを怠ってしまう傾向があるし、これは名前のついている関係でも必要な努力だと思った。美和子が、店で向井君と再会しちゃって、店を教えてくれた村田恨むの、面白かった。村田め。美和子が一人で生きていくために強くならなきゃと言うけど、強くなくても一人で生きていきたい。美和子の思う強さを否定する気はなくて、ただ自分はやっぱり、強さ=経済力で考えてしまう。年取っても働ける能力やキャリアがあるか、老後の資金はあるか、持ち家か、ないなら資産運用しろ、副業しろ、スキルアップしろ、今のままで将来どうする気だ、一人で生きていくなら手に職、長く働ける仕事、キャリアを考えろ、ごめんなさい、なにもできなくてごめんなさい、死ぬまで仕事できるか分からなくてごめんなさい、碌なキャリアなくてごめんなさい、でも、結婚も無理、ひとりがいい。強くなれるならなりたいけど、もう難しいので、このままで一人で生きたい。期間限定の仕事は来そうだけど、なんのキャリアにもならん仕事だし、暇が潰せるだけありがたいのか。だから、現実的に選べないんだから、はいはいはいはい、知ってますよそんなの、選べてたらとっくに選んでる。

今日の占い。現実を受け入れましょう。浅はかな夢を見るのはやめましょう。だからといって楽にはなりません。

台湾決められないまま、9月も1週間が経ってしまった。

悩むの疲れた。春頃の憂鬱がなかった時期が懐かしい。我慢しなきゃよかった。逃げればよかった。もう遅い。まだどうにかなってほしいと願うのは受け入れられてないからかな。希望と理想をなくす。そうすれば生きやすくなる。とはいえ、どうして自分がこんな目に合わないといけないのか分からない。どうして会社にいるのが自分なんだろう。この自分が自分じゃなければいいのに。5億当たればいいのに。休みが永遠に続けばいいのに。どの願いも叶いません。

ドラマも映画も本も好きだけど、弱っている時は、ここで終わり、があるのがうらやましくなるし、悲しくなる。ハッピーエンドにしろ、バッドエンドにしろ、何にしろもう続かない、そこで終わり。だから、仕事辞めたところでエンディングを迎えても、その後どうなったかは書かれない。当然現実は違う。辞めた後も続く。当たり前。いまさら何を言っているんだ。

「想い出づくり。」は曲もよかった。歌詞のないオープニングが、作中でもよくつかわれていて、もの悲しさがあるのがよかった。

明日は有休で、有休の前の日は明日休みだから、今日だけやり過ごそうと思えるのだけど、今日はそう思えなかった。自分にそうしようと言い聞かせたんだけど、だめだった。なんかそんな気になれなかった。状況は受け入れられても、どうして自分がという気持ちが拭えない。どうして自分がこんな目に合わないといけないんだろう、無能だと役立たずだと思われないといけないんだろう、自分でもそう思ってしまうのが嫌だ。役に立つ方がいいに決まってる。だって、その方が仕事を続けられるし、転職だってできるかもしれない。どうしてやり過ごせないんだろう。

山田太一作品を見ようと思ったは、前に書いた通り「敗者としての東京」で山田太一の名前が出てきたから。その中で「「敗者」が「勝者」に成りあがろうとすることなく、「敗者」のままで自らに誇りを持って生きるのはどんな事なのか」を書いた作品として「ふぞろいの林檎たち」を紹介している。「岸辺のアルバム」は、「登場人物たちが崩壊という出来事の後で、その「崩壊」(敗北)をどのように自分のなかで受け入れていくかという経過を時間をかけて丁寧に書いている」とのこと。この「」内の言葉は、長谷正人「敗者たちの想像力 脚本家山田太一」より。これは、見たいと思ったわけ。「ふぞろいの林檎たち」はユーネクストにないんだけど、ユーネクストで見れる山田太一作品見終えたら、長谷さんの本を読もうと思っている。「想い出づくり。」見ている時は、このこと意識してなかったけど、あの作品も「敗者」として読み解けるのかな。

あと、鶴見俊輔のことを「自分は絶対に敗者であり続ける、決して勝者にはならないという壮絶な意思」があったと書いていて、気になっている。カフカみたいな感じ?体が弱いと書いている割には、実はそれほどでもなかったカフカ。念願かなって?体を壊し、それを理由に結婚を諦め、仕事を辞め、親の金で憧れに療養生活に入るカフカ。鶴見は父親という「勝者」に対抗して敗者であろうとしたらしいので、それって根っからの勝者ってことでは?いやいや、読む前から僻んではいけない。強さ=経済力=役に立つことから、思考が抜け出せるか。自分はもう強くはなれないから、自分を納得させるために本読んでいる。

来年の夏までに引っ越すのなら、目を背けていたクローゼットの中のあれこれも片づけていかなければ。叶うなら一生目を背け続けたい。片付け嫌い。

会社で共有された、とあるセミナー資料に載っている名前、同級生かもしれん。しかも、そこに話聞いてみるかとなっている。多分向こうは覚えてないと思うんだけど話聞かない方向になってほしい。学生時代はほとんど話したことなかったんだけど、10年位前の同窓会で連絡先を交換している。当時、まだ婚活をしなければとの焦りがあったから、何かにつながればいいなと思って、乗りというか勢いで数人と交換した。まあ、その後全然連絡とってないんだけど。忘れたい過去なわけ。だから、話聞かない方向になってほしい。それか、私のことすっかり忘れていてほしい。ああもう婚活なんてするんじゃなかった。婚活にまつわるあれこれを記憶から消したい。成功しなくてよかったと思っているから、失敗すら成功なんだけど、成功していても消したい。大丈夫、話を聞かないことになる。絶対なる。

実はまだ「放浪記」を読み終えていない。キンドルアンリミテッド、後20日位だけど、それまでに読めないかもというより、読まないかも。つまんないわけじゃないんだけどね。

かなり久々に求人を検索してしまった。志望理由はなんでもOKなわけないじゃん。条件合っているのでって素直に言って受かるか。採用側からしたら、ここで働きたいですって人を採用したいよね。分かる。浅はかな夢を見るのはやめようと決めたのに。受かるわけないし、何より面接が嫌だ。書類で落ちるにしても、応募したら考えないとじゃん。止めたって面接のこと考えるじゃん。ああ嫌だ。まって、応募もしていない、求人ちらと見ただけ。落ち着いて。希望や理想は捨てた方がいいけど、希望があった時の方がまだ楽だったんだよね。