2023.11.6

3連休あっという間だった。本が全然読めなかった。

金曜日は、8時くらいに起きてアップルパイを食べる。近所のパン屋で10月末で終わりかと思っていたら、フェアからは外れて、隅に追いやられていたけど、まだ売っていた。朝から贅沢。コーヒー入れて野球かなんかの延長で録画失敗した「いちばんすきな花」をTverで見る。「ゆりあ先生の赤い糸」はちゃんととれていたんだけど。この日はまだ本が読めたので、「塗仏の宴」を読み始める。そうだった、朱美が出てくるんだ。お昼食べて図書館に本を返しに行って、買い物して帰る。明日は親と出かけるから、いつも土曜日にする家事を少しやっておく。ドラマは「遊園地殺人事件」を見終わる。女であることで父親から跡取りと認められず、婿を迎えることも、跡取りの男を産むこともしないイヴァンヌ。この辺もっと掘り下げられるかなと思ったら、肩透かし。サンドリーヌも過去のトラウマを払しょくできて晴れて警察になることが出来たんだけど、なんつーか、遊園地で行方不明になった男の子がサンドリーヌの過去克服のための設定に見えてしまって、かわいそうだった。ツッコミどころも多々あるけど、面白かった。続きを思わせる終わりだったけど、続きは見なくていいかな。木曜の夜に、洋服レンタルのサイトを見つけて、木曜もこの日もやたらこのサイトを見てしまった。コートはレンタルでもいいかなと思っている。ただ、これから増えるのかもしれないけど、真冬のコートがあんまりないんだよね。

土曜日、洗濯してから、家を出る。何度か行ったことのあるデパートのレストラン街にあるファミレスに行く。ここは席の配置がゆったりしていていい。洋服を見に行くけど、レンタルするかもしれないと思うと、ほしいと思ってもためらう。母親がユニクロに行きたいと言うので行ってみると、混んでいる。ハイネックで薄手のヒートテックがほしかったみたいだけど、思っていたより薄手だったらしくやめて、マネキンが来ていたメンズのボアがデザインされたアウターがよかったので、それを買っていた。母親は結構体力がある方だけど、この日は途中で疲れたからベンチに座りたいと、休憩を入れた。70過ぎているから、そうなるよね。

家に帰って、ケリー・ライカートの「リバー・オブ・グラス」を見る。この監督の作品見たことないと思っていたけど「ライフ・ゴーズ・オン」を見ていたわ。「ライフ・ゴーズ・オン」はあまり好みじゃなかったので、「リバー・オブ・グラス」も見るの迷ったけど、これは結構よかった。感想にはネタバレあり。主人公のコージーは30歳、結婚して2人の子どもを育てているが、ここから抜け出したいと思っている。バーでたまたま会った男性と夜中にプールに忍び込むが、そこで男性が持っていた銃でふざけていると誤って撃ってしまい、2人は街を出ることを決める。

コージーに具体的に出ていきたい何かが語られることはなくて、父親が昔はジャズドラマーだったけど、母が自分を妊娠したから、結婚してこの土地に引っ越してきて警官になったと、何回か語る。父親は家で今もドラムを叩き、仕事では銃をなくす。で、この銃を男が拾って、コージーが街を出るきっかけとなる。でも、この男といると出られなくて、彼を車から突き落として一人で街を出る。この高速の先まで行ってみたい、とコージーは高速道路を見上げながら思う。でも、その先は「リバー・オブ・グラス」。あまりいいところではなさそうなんだよね。ここではないどこかへ行きたい。ここではないどこかなら、違う自分になれる。多分そう上手くはいかない。でも、ここで頑張ることはできない。じゃあどうしたらいいんだろうね。

レンタルを申し込む。早速コートとバッグを借りる。週明けには届くみたいで楽しみ。

「死ぬまで生きる日記」よかった。土門さんが「死にたい」を他の言葉に置き換えるのに沢山考えて、「帰りたい」だと分かって、そこから「書きたい」にたどり着く。「書きたい」にたどり着くヒントになったのは、「帰りたい」の場所が火星だと気がついたから。土門さんが子どもの頃周囲に馴染めず、自分は火星から来て、火星にいる仲間に地球のことを書き記して送っているスパイだと妄想することで乗り切ってきた。この、妄想がヒントになるって、すごくない?で、火星には土門さん一人なの。帰りたい場所は、実家でも家族のいるとこでのなく、一人なの。現実の土門さんは結婚されてお子さんが2人いる。カウンセリングを受けたのは子どもののためというのも大きいけれど、帰りたい場所が一人の場所って、一人で生きたい自分には救いだった。この本も「死にたいけどトッポギは食べたい」もカウンセリングの記録で、よかったけど、ますます自分の悩みはカウンセリングでは解決しないのではとの考えが深まる。もちろん、全く無意味とは思わないんだけど、気持ちの問題というより、現状を変えないといけない問題だから。本なんか読んでやり過ごしている場合ではないのではないか。ただね、現状を変えないといけないのが分かったからって何ができるってわけでもないんだよね。そんなの前から分かってて、分かっているから辛いんだよね。会社のお荷物でも仕事を辞める訳にはいかないし、でもそういう目で見られるのは辛い。人目を気にしない人ってこういうのも平気なのかな。それは少し羨ましい。自分が役立たずだと認めるのも辛い。恵まれているのに、こんなに辛くて役立たずで、どうしようもない。

日曜日、朝食食べて家事をして、12時から14時に書留が届くので、12時前に戻れるように散歩に出る。少し寒いけど歩いている間に温かくなってくる。歩きながら、ふと、休みの日に人と会うのは楽しいけど、仕事のこと話せなくて相手を騙しているというか、相手に嘘をついていて後ろめたい気持ちになる。会社にいるときは自分を騙している気持ちになる。だから、休みの日に一人でいるときだけが、楽になれる。だから一人が好きなのかも。根っからの一人好きじゃなくて、楽を選んで一人でいた方がいいから一人が好きなのかも。こんなこと考えていたからか知らないけど、この日はほとんど本が読めなかった。散歩から戻って、郵便受けとって家事をして、14時くらいに本を開くけど読めない。閉じて違うの読んで、また閉じての繰り返し。この時点で、本が読めないから、日本語のドラマ見るとか、雑誌めくるとかに切り替えられればよかったんだけど、できなくて、寝っ転がってスマホ見て、そのまま1時間位寝てしまう。16時前には起きたけど、怠くてそのまま横になってだらだらとスマホを見る。頭では、雑誌めくろうかとか、散歩行こうかとか、そうしたほうがいいこと分かっているんだけど、できない。夕食食べて大河見たら、案の定辛くなってきた。会社行きたくないな。辞めたいな。助けてほしいな。と無理なことを思う。もっと将来のことを考えて、一人で生きていくことを考えて仕事を頑張ったり、選んでいたら、今こんなに辛くなかったのかな。そん時転職できていたら違っていたのかな。そんなこと考えても仕方ないことを考えて落ち込む。「下剋上球児」は、とうとう校長にもばれてしまい、出頭することに。どうなっちゃうの。このドラマ、野球の試合の取り方うまいよね。南雲先生は仕事に行くたび、生徒を部員をだましていると思っただろうね。自分を騙して働くのと、相手を騙して働くのはどっちが辛いのか。

文化系トークラジオLIFE」で、8月の放送を聞き終えた。ツイッターがなくなったら、どうするかって話で、面白く聞いてはいたけど、個人的にはなくなったらなくなったでいいかなと思っているせいか、意見を聞いてもあまりぴんとこなかった。「フィールダー」が取り上げられていて、山本ぽてとさんがあのラストには肯定的で、あの状況でなにかが起こったら全部嘘くさくなりそうと言ったら、作家のめろん先生が、嘘くさくならないように書くのが作家の仕事だと言っていて、めろん先生はあの終わりには否定的な意見だった。私は山本さんと同じようにとらえていたけど、あそこから嘘くさくならないように終わらせるって、どうするんだろう。それはそれで読んでみたい。

しばらく朝マックに行っていない。マクドナルドがイスラエルハンバーガーを無料提供したと聞いて、行くのをやめた。一人で不買運動なんてしても意味ないだろうし、マックにはいかないけど、ユニクロには行って、あのレジ使っているし、そういう矛盾だらけの行動なのは承知だけど、イスラエルが攻撃をやめるまでは行かないことにした。スタバは近所になくて、街中の店舗は混んでいて行くことないので、問題ない。

また、積んでる本から1冊、「母をお願い」を読む。今年の正月にブックオフのセールで買った。ソウル駅で行方不明になった母。子どもたちはチラシを配り、母の行方を探すが、見つからない。まず、長女の視点で母のことが語られ、次に長男の視点があり、その後また違う誰かの視点で語られる形。長女と長男が思い出す母の姿が、全部家族のため、子どものために働いている姿なんだよね。長女は本当はお母さんのこと何にも知らなかったのではないかと思う。これは読んでいて、思い当たることがあり、なかなか辛い。東アジアの家族観って似ているよね。