2024.1.12
ようやく電池を買ったので、毛玉取り器を使う。うーん、やらないよりはましだけど、きれいには取り切れない。これは、3千円位のを買っていたら取れていたんだろうか。分かんないよね。
「原潜ヴィジル」、エイミーは損な役回りだよね。話の展開のためにも、間違った人を疑わないといけないし、過去の水難事故の影響で精神的に不安定なうえに、艦内に3日の予定が3週間いないといけなくなって、持ってきた薬が足りなくなってしまう。この薬は申請せずに持ち込んで、それがばれた上に薬がないから錯乱したんだと信用を失う。この前に演習があったんだけど、それを知らされていなかったエイミーは実戦だと思い、パニック状態になってしまう。このダブルで信用失う流れは、かわいそうだった。規律厳しい設定のくせに、報連相下手だし、スパイがいるかもしれないと分かっているのに全乗組員の居場所を把握しない。食糧庫が汚染されて食事できないのに、その心配しないし、なんか小さいことが気になってしまう。でも、文句言いつつ楽しんでは見ている。エイミーとカーステンは恋人同士で、信頼できる相手としてエイミーは地上での調査員にカーステンを指名しているし、じゃれあっている映像が多いからまだ付き合ってるんだと思ったら、別れてた。エイミーは男性の恋人と、彼の娘のポピーと暮らしていたんだけど、水難事故で男性が亡くなり、ポピーは男性の両親に引き取られる。艦に乗っていてポピーの誕生日を祝えないエイミーの代わりに、カーステンがポピーにプレゼントを届けると、ポピーの祖父母から非難されるんだけど、それが、共同親権になるのに相手を紹介しないエイミーのことを責めている。つまり、祖父母はエイミーが同性と交際していて、親権を取ることを検討しているのを知っていて、責めるのはそのことじゃないってことだよね。うわ、自分遅れてると思った。で、その席でカーステンは聞いてないし、もう別れたと言う。エイミー、言っとけよ。だってエイミーとカーステンのけんかの様子も流れるんだけど、その原因がエイミーが一緒に住むことへの返事をしないことと、ポピーをカーステンに紹介してくれないことなんだよ。
昨日はちょっとまずかった。チョコをやけ食いしている時は、まずいときなんだよ。もうさどうしていいか分からないから、仕事は諦めてそれ以外を楽しもうと思っても、後ろめたさというか罪悪感というかそういうのもがべたーっとはりついてはがれない。また占いを読んで後悔する。やってきたことが実を結ぶでしょうと書かれるのが一番嫌。やってきたことなんか何にもない。実もならないし、花も咲かない。つまり、やってこなかったことが悪いということでしょう。もうやれることなんかない。年始に次の次の朝ドラ書く中園さんがラジオに出てて、中園さんは子どもの頃から占いをしていて、占いの本を出版した。その理由は、中園さんの元に相談に来る女性の多くが、今年は結婚しない方がいいと言ってるけど今の彼としない方がいいのかなど、占いを悪い方に捉えて思い詰めている。中園さんは怠け者の自分がここまでやってこれたのは占いに従ったからで、ここは頑張った方がいいとあったら、こう出ているから頑張ろうみたいにしてやってきたと。まあ、結果論なんだけど、せっかく書いてるんだからいいほうに捉えたらいいのにみたいな感じで書いたらしい。中園さんが脚本家になった話がおもしろくて、新卒で入った会社を1年位で辞めた後、ひとめぼれした人が脚本家で、その人が缶詰しているホテルを突き止めて、ロビーで待ち伏せをしていた。何度もそれを繰り返していたら、脚本家から次やったら警察を呼ぶと言われて諦める。どうしたらいいだろうと考えて、図書館でその脚本家の脚本を探して、それをひたすら書き写した。半年たったころ、もしかして脚本書けるんじゃないかと思ったと。すごいな。で、占いの話。いいこと書いてあるのよ、しいたけは今年は遊べと、旅行も行けと。石井さんは気がつかないところで問題は解決していくと、仕事でもプライベートでもいい出会いがあると。ね、いいこと書いてあるでしょ。石井さんも旅行はいいと書いていた。だから前向きにとらえると、旅行は行く。5月末から大転機があるらしんだけど、転機っていいか悪いか分かんないよね。逆に言えば5月末までは何にもないから考えても仕方ないのか。変化は怒ってほしいけど何も変わりたくない。だってよくなるかなんてわかんないし、よくなる想像がみじんもできない。
昨日、「いっぱしの女」が読みかけであることを思い出したので、続きを読んでいる。おもしろい、氷室冴子は文章がうまい。カタカナの使い方に時代を感じるけど、書いてあることは現代に通じる。「少女小説家」ということで男性編集者から見下されること、結婚して子どもができた女友達と話が合わなくなってきたことへのさみしさや憤り、作家として生活できているのに結婚していないことで母親が一人前とみてくれないこと、などなど。「わかる」と簡単に書いてはいけないけど、わかる。わかるんだよ。ンマーおばさんへ言い返したところは、心の中で拍手喝采。深澤真紀さんが、よくしゃべる自分が口をはさめなかった人が2人いる、一人は黒柳徹子、もう一人が氷室冴子、と言ったのもわかる。文章なんだけど、畳みかけるような口調を感じるのよ。
職場の後輩が、新しい仕事任せてもらえているのいいなあと思いながらいる。いいなあ。羨んでもいいけど、妬まないでおこう。最近戻ってきた職員に、そういえばいくついなったのと聞かれ、実は年を聞かれるのは嫌で仕方ないんだけど、思ったより抵抗なくすんなり答えられた。なんで嫌かというと、童顔で背が低いせいか昔から実年齢より下に見られて、答えると結構年いってるんだ的な反応をされることが多く、それがその年齢でそれなのと思われるかもと思って嫌。具体的に言うと、働いてからだと「おいしいごはんが食べられますように」で言われていた、年次に見合った仕事ができてない、スキルが身についていないと思われること。学生の時だと年齢の割に子どもっぽいとか、話す内容が幼いとか、そう思われそうで嫌だなと、勝手に思っている。当然言われたことはない。まあ、言わないだろうと思うんだけど。昔からのコンプレックス。でも、今回そういう気持ちにならなかった。「海街ダイアリー」だっけ?40過ぎたら女は同い年って言ってたの?全面的な賛同はできないんだけど、40過ぎてから自分の年齢が分かんなくなる時が増えた。20代の時はあんなに意識していたのに、早生まれの友達もまだ私は23だから、みたいに言ってたのに。あの頃の1歳差の間に何があったんだろう。今は1歳なんて間違っても気にならない。間違いですらない気がする。それはないか。間違いだけどしばらく気がつかないかもしれない。確か航空券予約する時年齢間違えるといざというとき大変なんだっけ。予約時に40で、実際の搭乗時は誕生日過ぎて41のとき、40って入れると予約はできるけど、搭乗時にトラブルあった時に本人確認ができないって聞いたことがある。なので、予約時は真剣に思い出すようにしている。でも仕事任せてもらえないんだから身につくわけなくない。こういうのは自分だけのせいじゃないと分かっているけど、負の結果を負うのは結局こっちなんだよね。会社対個人じゃ分が悪すぎる。なんであの時もっと頑張れなかったんだろう。なんであの時違う選択ができなかったんだろう。もっと早く色々考えればよかった。貯金をもっとしておけばよかった。あーあ後悔ばっかり。しかもさ、もし新しいこと任されて、同じ失敗するにしても20代と中年じゃ受けるダメージが違う。周りから見られる目も違う。若さで許されることが、許されない。
5月末まではなにもしないというか、もし大転換がきたら引っ越しどころじゃなくなるかもだから、それまでに引っ越しの目途付けておいた方がいいかも。そうなると、クローゼットの見ないようにしていたあれをどうにかしなければ。いきなり手を付けるのはよくない。まずやりやすいところからやろう。
レンタルそんなに借りなくてもと思いつつ、金曜の夜が楽しみだし、借りたものが月曜日に届くので、今日帰ったら届いてると思うと、月曜日の憂鬱さがちょっと晴れるんだよね。資本主義から逃れることって難しいね。自分の機嫌の取り方が消費なのは、よくないと思いつつ、でも消費したい。ほら、消費だけじゃないから。あれ、消費ばっかりかも。楽しみの予定を入れる。旅行とか。カフェで読書。気分転換と機嫌の取り方は違うよね。不安をやり過ごす時と機嫌の取り方も違うよね。あれ、そしたら消費ばっかかも。旅行の計画を立てる、洋服を見に行く、正確には消費はしていないけど、消費に結びつく行動だよね。考えた方がいいかもしれない。
今年の年末年始は9連休だと喜んでいたけど、その後5連勤なのきつくない?きついよね。ちょっと考えてほしい。