2024.1.15

金曜日、コートとスカートを確保できたんだけど、悩んでレンタルしなかった。コートは子どもっぽく見えそうだったのでやめて、スカートはコートよりも悩んだんだけど、生地に張りがあるので重く見えそうでやめた。スカートはペラペラの生地の方が着やせにはいいんだけど、冬は寒くて困る。来週また新作が出るし、今回はいいやと諦めがついた。週5勤務の初日にご褒美ないけど、仕方ない。

土曜日、午前中はいつもの家事をして、お昼頃図書館に本を取りに行く。帰ってきて早速「実母と義母」を読む。村井さんのエッセー「兄の終い」と「家族」を読んでいるから、実母との関係は知っていたけど、改めて母に焦点を絞った文章を読むと、お母さんがこうしか生きられなかった理由や背景が分かり、また、村井さんの後悔が伝わってくる。義母は認知症で、義母に対応した後、たいてい、実母にはできなかった、実母にはしてあげられなかった分義母にしてあげようと書かれている。実母と義母は真逆の人生を歩みながら、村井さんも不思議に思うほど仲良くなった。夫が亡くなり、認知症の母親と障害のある弟、兄妹の生活のため働き続けなければならなかった実母。クラブを大繁盛させていたが、夫の嫉妬で店をたたまなければならなかった義母。お金の心配なく専業主婦に憧れた実母と、自分の店を続けたかった義母。そして、実母は生まれ育った土地からほとんど出ることなく生活し、義母は常に夫に従った。2人とも狭い世界を生きていたと、村井さんは書く。家族に振り回され、狭い世界で必死に生き続けた2人。そのために身につけてしまった悪癖に、村井さんは辟易させれれながらも、そうしか生きられなかったことに思いをはせる。

刻々と祝賀会の時間が迫ってきている。行きたくない。なんで貴重な休みの時間を仕事に使わないといけないんだ。嫌だ。でも、行かないわけにはいかない。よくなりようがない、休みの日に仕事なんだから、その時間がいい時間になるわけがないので、いい時間にすることは諦める。はあ気が重い。ネックレスも借りたけど、つけるかどうか迷って、せっかく借りたんだし付けておこうと付けた。受付やって、インフルで急に欠席になった人がいて、席調整で私がそこに座ることになった。違う部署の人たちなんだけど、結果この方が楽だった。元々座る席は自分以外男性ばっかりで、仕事してないから仕事の話なんてない。座った席には一人すごく話す人がいたので、その人がばーっと話してくれてあんまり話さなくていいから楽だった。あと、この部署のトップの悪口。嫌われていると噂で聞いていたけど、話に入りようもないので黙って食事。仕事も受付以外ほとんどなかった。2次会も帰りたかったけど、出るように言われたの出て、家帰ったの23時頃だった。疲れた。そういえば赤ワイン飲んで具合悪くなってから、白も飲んでなかったんだけど、この日1杯飲んで、具合悪くならなかった。白は大丈夫かも。あと、普段飲むことのないシャンパンが美味しかった。いい時間でも楽しい時間でもなかったけど、まあ終わってしまえば行く前に悩むほど最悪な時間でもなかった。でも、色んな部署の人とか、普段は電話やメールだけのやりとりの他の地域の人も集まって、仕事の話には入れないし、振った世間話も続かないし、私に仕事があればこんなにとにはならなかったのかなと思った。情けない。

日曜日、いつもより寝るのが遅かったけど、同じような時間に起きる。本はこの日に「本と私と恋人と」を読み終わりたかったので頑張って読む。ドラマはイギリス女優が交代で主役を務める「I AM 私の分岐点」という短編ドラマを見始める。11時過ぎにレンタルしたブラウスとネックレス、少し早いけどワンピースもまとめて返却するため宅急便を出しに行く。天気も良かったのでそのまま散歩に行く。帰りに本屋に行くかどうか迷って、やっぱり行った。石井さんの占いの本見たかったけど、自分の星座が売り切れだった。雑誌で立ち読みしたら、旅行、特に海外の豪華旅行に行くといいとある。やっぱり今年は旅行に行こう。豪華旅行とは、豪華客船に乗るとかラグジュアリーなホテルに泊まるとかなんだけど、興味がない。高いホテルなら、丸福楼みたいな昔の建物を改装したホテルに泊まりたい。

「本と私と恋人と」読み終えた。感想にはネタバレあり。腕利きの文芸エージェントとして働くノーラは、母親亡き後、妹のリビーを守るために必死だった。仕事ばかりしてるノーラを心配したリビーは、休暇を取らせるため、2人が好きな小説の舞台になった田舎にバカンスに連れ出す。そこでノーラは、数年前に仕事で衝突した編集者、チャーリーと再会する。ラブコメなので、最悪な出会いをしたノーラとチャーリーが惹かれあう展開は、お約束。最後もリビーがチャーリーの仕事を引き継いで、チャーリーをノーラのいるNYに戻してハッピーエンドだなと読める。ある意味安心して楽しめる。よかった点は、リビーが母親を非難するところ。ノーラにとっては3人で過ごした時間は楽しいものだったけど、リビーは母親はノーラを子どもではなくパートナーのように扱って頼り切っていたと非難する。ノーラは私の父親じゃなくて姉で、相談したら何でも解決してくれようとするけど、そうじゃなくてただサイテーな状況に「サイテー」って一緒に言ってくれるだけでよかったのにと言う。リビーはその役割からノーラを解放したくて、自分もノーラがいなくてもやっていけると証明したくて、田舎へのバカンスは、そこに引っ越しをするための下見も兼ねていた。ノーラは、妹のために一度は諦めた、編集の仕事が舞い込み、また大好きなNYを離れることができない。ノーラが、妹のためでも、好きな人のためでもなく、自分がそうしたいからで、NYでの編集の仕事を選ぶ。チャーリーとも最初は遠距離恋愛を選ぶ。仕事も恋も住む場所も、全部手に入れる描写、最近では珍しくない?バリキャリは田舎に行ったら、その土地の異性と恋に落ち、都会には戻ってこない、というのを、バリキャリじゃなくて、この小説ではノーラが過去に付き合った3人の男性がやるんだよね。500ページ超えだけど、結構すらすら読めた。母親の影響で、姉妹が本好きで、色んな本からの引用とかも楽しめた。

「光る君へ」おもしろい。展開が少女漫画ぽいとの感想を見たけど、見やすいのは少女漫画ばかり読んでいたからかな。しかも、源氏物語は「あさきゆめみし」でしか読んだことがなく、これが漫画だから、なおさら漫画ぽいのが馴染む。

大河終わっても、それほど憂鬱にならない。わーい。宣言通り「鏡の背面」を読み始める。亡くなった人が別の人だったという、「ある男」みたいな始まり。何か録画してるなと確認したら、「さよならマエストロ」だった。「リバーサルオーケストラ」みたいな設定だな。ドラマちょっと見て、本読んで、思っていたより憂鬱にはならないけど、やっぱり明日は嫌だ。仕事に行きたくない。

不安になってきた。どうしたって今の状況はまずいけど、どうしていいか分からない。変えたいけど変えられない。そのために頑張れないし、そもそも何を頑張ればいいのか分かんない。今の職場が嫌で仕方ないのに、そのくせここ以外では働けないから、嫌でもいないといけなくて、他に選べることがなくて、まずいと分かっていてもまずさを更新するしかない。これが辛い。まだできることがあれば気持ちを誤魔化せたのに。でも、もう転職活動はしたくない、てか面接が嫌だ。苦手苦手。他力が来なかったらどうしたらいいんだろう。ずっとこのままなのかな。いやそれは無理だろう。きっとそのうちくびになる。知ってる、自分の状況がまずくてどうにかしないといけなにのは分かってる。今が続くのも怖いけど続かないのも怖い。誰が助けてほしい。他力が来るなら早くしてほしい。でも今からできる仕事なんてそうない。仕事はあるけど、自活できる給料もらえるくらいの仕事が、中年にはない。やり直したい。やり直せない。5月末までは考えないつもりだったけど無理だった。きっと、仕事に関してはポジティブ・ケイパビリティの方が生きやすいよね。変えられない状況に憂鬱になるより、そこを抜け出せる努力をする方がいいに決まっている。だって辛いもん。そういえば、近所の本屋で、ランキング5位くらいに「ZERO WITH DIE」が入っていた。何かで紹介されたのかな。辛い。忙しくして自分と向き合わないようにするのは、生きるために必要な術かもしれない。全然いいもんじゃない。簡単に答えが手に入るならそっちの方がいい。ずっと辛いのは辛い。忍耐力があるわけじゃなくて、ただただ他にできることがないだけ。転職できてたらそっちに行っていたし、5億当たったら辞める。ノーラみたいにやりたい仕事のオファーが来るのは、それまでの仕事で実績があって、信頼されて、その仕事の適性があると思われているからだよね。愚痴書いたら、愚痴を書くことしかできない自分がばかみたいに思える。バカみたいと思って気持ちが若干軽くなる時もあるけど、今回はならない。書けるだけまだ元気があるってことだよね。知らんけど。

どうでもいい話をしよう。と書くと、今まで書いてきたのはどうでもよくないみたいだけど、基本ここに書いているのは全部どうでもいい話。2次会の店のおつまみが、個包装されたチョコやらサラミやらせんべいやら乾きものやらで、一緒の席だった年上の女性たちに、もったいないから持って帰りなさいと皿を突き付けられ、じゃあと、結構もらえるものはもらうタイプなので(真田丸の昌幸の「もらえるもんは病気以外もらっておけ」の台詞好き)、もらって帰ってきた。家で久々にサラミを食べて、子どもの時サラミが好きでお小遣いで買って食べていたことを思い出した。酒がなくてもつまみが食べられるので、酒なしでつまみを食べる。ちなみに、つまみがなくても酒が飲める。サラミ美味しい。この美味しさを思い出した。はまると繰り返し食べるタイプなので、自分でも買って食べるかもしれない。

ネガティブ・ケイパビリティで生きる」のおひとり、朱喜哲(チュ・ヒチョル)さんの本を読みたいなと思っていたら、2月の100分de名著にご出演とのこと。ローティの「偶然性・アイロニー・連帯」。「番組初のプラグマティズム、初の言語哲学分析哲学)、初の二〇世紀アメリカの哲学者」だそう。ちんぷんかんぷんだけど、ひとまず見てみよう。「ネガティブ・ケイパビリティで生きる」のもうおひとり、谷川嘉浩さんの「スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険」も読み始める。「ネガティブ・ケイパビリティで生きる」より読みやすい。ディスカバー21はポジティブ心理学的な自己啓発が多い印象なので警戒していたけど、いらん警戒だった。だって、ネガティブ・ケイパビリティポジティブ心理学は真逆だもんね。