2020.10.21

「絶望名人カフカの人生論」という本を読んだ。

タイトルに偽りなし。まさに名人。

 

「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。

 将来にむかってつまずくこと、これはできます。

 いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。」

 

あまりにも突き抜けていて、笑ってしまったのだけど、これが結婚を申し込んでいる女性への手紙だというのだから驚いた。普通はもっと自分のいいところをアピールするものではと思ったけど、自分も転職活動で自己PRとか書くの苦手で苦労したことを思い出した。決して嘘を書いているわけではない。でも、どこか違和感がある。まさか履歴書にマイナスなこと書くわけにいかないから、なんとかプラスなこと書いて埋めた。カフカだったら履歴書にもそのまま書きそうだなと思ったら、また笑えた。

読んでいくと、カフカの絶望には、思い当たるところもある。自分の欠点ばかりに目が行ったり、人と比べて落ち込んだり、夢がかなわなくて挫折したり。

 

「幸福になるための、完璧な方法がひとつだけある。

 それは、

 自己の中にある確固たるものを信じ、

 しかもそれを磨くための努力をしないことである。」

 

解説によると、これは「セルフ・ハンディキャッピング」というもので、自分にハンデを与えることで失敗した時に自尊心が傷つかないようにするという心理らしい。よーくわかる。挑戦しなければ、もしかしたらまだできるかもしれない可能性を残すことができる。でも、挑戦しないから決して成功することはない。約7割の人がこの心理を持っていると書いてあるが、自分のこういう心理を認めるのは難しい。カフカのすごいと思うところは、こういった絶望をひたすら見つめ、自分の言葉で書いていくところだ。

しかし、名人はその量でも凡人を凌駕する。婚約者へのラブレターが「約5年間で、活字のとても小さいドイツ語のペーパーバックで約800ページ分」。父親への恨み言の手紙が「10日がかりで書かれ、タイプ原稿で45ページ、ドイツ語のペーパーバックで75ページ」というから驚く。しかも、読んだ父親がこう反論するだろうという予測まで用意しているという周到ぶり。「カフカは、自分で自分を激しく非難しますが、人からの非難は拒絶します。だから、人から非難される前に、先回りしてそれをやってしまうのです。」読めば読むほど、カフカに募る共感。私は詳しくないけれど、この心理にも専門的な用語がついていそう。カフカの絶望自体はそれほど珍しいものではなく、他にも心理学的な用語で説明できるものが載っている。だけど、突き抜け方、徹底の仕方が違う。辛いことが続くと、どこかに希望を見出そうとする。絶望するにも体力がいる。ひたすらに絶望を見つめ続けたカフカは、実際に身体を壊してしまう。何もそこまでしなくてもと思うが、先日ストレスで見え方に違和感を覚えた身としては、ここでもカフカに共感してしまった。

名人のすごいところは、実際に身体を壊して喀血しても、安心するところだ。病気になったのだから結婚できなくても仕方ない、病気になったのだから仕事を辞めても仕方ないと、病気を武器に次々と悩みを解決していく。凡人は、目の見え方の違和感がストレスと分かったら、ストレスとどう付き合っていくかを考えたというのに。

共感しながら読んでいたが、次第にちょっとあきれてくる。体が弱いと嘆いているのに、実はそれほどでもなかったと聞いて、なんだか、絶望するために絶望しているみたいだと思った。でも、絶望がカフカの書く原動力となっていたと知って、そういえば、このブログを始めたのもストレスが原因だったなと思い出した。そして、あきれたとは言いつつも、カフカの作品が気になり、今は「城」を読んでいる。

個人的にカフカを始めて日本語訳したのが中山敦というのが興味深かった。山月記の虎とカフカは重なる部分があると解説にも書いてある。