2021.3.2

「あのこは貴族」を見た。感想にはネタバレがあります。

東京生まれ東京育ちの榛原華子と、富山出身で大学進学で東京に出てきた時岡美紀。違う階層に生きてきた2人は、青木幸一郎という1人の男性をめぐって対立する、という話ではなった。まず、「日本って女性を分断させるような価値観が普通にまかり通ってるじゃないですか。私、そういうの嫌なんです。」と言う、華子の友人、逸子の存在。逸子はこれは2人の問題だからと、美紀を責めることをしない。それでも、華子が現れたときは緊張が走る。華子は何を言うんだろうと思っていると、これ母親からと封筒を差し出す。手切れ金か?なんて思うこちらの邪推をよそに、「お友達とお雛様展を見てきなさいってチケットくれたの」と華子。お雛様展?この状況でお雛様展?と呆気にとられるが、実に華子らしい。

華子と美紀が実際に出会うまで、映画は華子のパートと美紀のパートを丁寧に描く。実は最初、特に華子パートの描写が丁寧すぎて、このテンポは合わないかもと思っていたが、このテンポこそが華子なのだと分かる。それぞれのパートの書き方が素晴らしい。露悪的にならず、それぞれの血の通った生活として書かれていて、華子という人間が、美紀という人間が、それぞれの周りにいる人間が、しっかりと輪郭をもって立ち上がってくる。だから、突拍子もなく見える華子の言動も、らしいと受け取れる。それは他の役も同じで、逸子の役なんて下手したらただのお節介なのに、これまでの描写と石橋静河さんの演技もあって、とても説得力がある。パンフレットとかネットの感想では、逸子のマカロンのシーンが人気だけど、それよりも逸子を表しているのは、帽子を追いかけるシーンと、美紀に肩を貸そうとするシーンだ。目の前に困っている人がいる、そのときさっと必要な行動がとれるのは、普段からそういう行動をしているからなんだよね。逸子の公平さ優しさが表現されたとてもいいシーンだと思う。

美紀と里英の友情もよかった。2ケツのシーンなんて涙もの。移動には華子はタクシー、美紀は自転車って書き分けがされていて、美紀はひとりでがしがし自転車こいでるんだけど、2ケツのシーンでは2人で交互に漕いでいて、この後で2人での起業を決めるんだけど、助け合っていくってことが暗示されているとても好きなシーン。里英を演じる山下リオさんもとてもよかった。里英は美紀と同じ高校から慶応に入り、卒業後に富山に戻る。地元でも大手の企業に就職しているが、なにかといえば結婚しろという抑圧が嫌で、東京での起業を考えている。2人での起業を決めた後、ビール飲みたくない、すいませーん、ビール2つ、声でかのやりとりがよくて、これが希望だと思った。

華子と美紀のシーンで印象深いのは、美紀の部屋を華子が訪れたところ。華子が部屋の中を見ながら「この部屋落ち着く」と言うと、美紀が「狭いところって落ち着くよね」と返す。それに対して華子は「そうじゃなくて、全部美紀さんのものだから」と答える。美紀の部屋の壁を飾る写真、里英と始めた会社で取り扱う商品。美紀が今まで東京で頑張って生きてきて自分で選んで手に入れたもの。そうか、華子の目にはそう映るんだ。と、同時にそれが自分にはないものと華子は思っているのかもしれない。このやりとりが背中を押したかのように、華子は離婚を決める。

男性陣の書き方も出番が少ないんだけど、厚みがあって、幸一郎なんか家の最たる犠牲者というか、家を背負わされているんだけど、そういうもの、仕方のないものとして生きているところが、悲しくもある。家が考え方の中心だから、華子のことも家からOKが出たら途端に冷たくなる。たとえば挨拶の後、足場の悪い庭の池の石を渡る時、ヒールで歩きずらいであろう華子を気にするでもなくさっさと歩いて行ったり、興信所に調べられていたことにショックを受ける華子に気遣うこともない。義理の兄を演じる山中崇さんは、婚約者が来ないと分かった会食の席で、母親と姉たちから責められる華子をかばってくれたり、華子も気を許していて義兄の前で瓶から直接ジャムを指ですくってなめたりする。でも、結婚後仕事がしたいとお願いしに行った華子に、それは幸一郎君に相談しなよと、華子を青木家の人間として扱う。幸一郎は選挙で帰りが遅くてというと、そういう家だしいずれは幸一郎君だって立候補するでしょ、華子ちゃんに男の子が生まれたら跡継ぎだと、当然のこととして話す。違うように見えたけど、義兄もその階層の「常識」を身につけた人だったという描写が、華子もショック受けてた感じだったけど、よかったよね。

去年、洋画でシスターフッドの映画が多く公開されて、邦画でも見たいなと思った。正直、こんなに早く見られるなんて思ってもいなかった。パンフレットの監督の言葉読んで、これからも絶対この監督の映画は見ようと思った。連帯も書くけど、分かり合えなさも書く。でも、ここで書かれる分かり合えなさはさみしいことでもなんでもない。あの子も自分も、違う場所でそれぞれ生きていると、大変だけどなんとか頑張って生きていると思えたら、それだけで元気をもらえる。