2021.3.5

顔よりも、次は首の皮むけがひどい。季節的にタートルネック着て隠せるけど、タートルネックは着ないと決めているから持っていない。赤みがひけばなんとか大丈夫そうなので、約束の日までに何とかなっているように期待するしかない。

不安になってくると、私は私がどうしたいか分かっている。私は私のしたいことが分かっている。と、つぶやいている。なかなか落ち着く。怖くないと言ったら嘘になるけど、どうしたらいいか分からないと泣いている時よりずっといい。私は私がどうしたいか分かっている。それで十分だと思った。この選択でよかったと、この選択は間違っていたいと、いつどうしたらわかるんだろうか。私はこの選択に後悔しないことはないと思っているし、今選択しないことを今後も後悔すると思っている。ようは、どうしたって後悔する。後悔はいけないことなんだろうか。しない方がいいに決まっているけど、後悔のない人生は、後悔ばかりしてきた自分からはちょっと想像できない。後悔したっていいと思いたい。できるかできないか、うまくいくかいかないか、反対されるかもしれない、間違ってるって言われるかもしれないけど、それは権外だから「棄て去るがよい」。

「その悩み、エピクテトスなら、こう言うね」を読んでから、エピクテトスに興味を持って、「語録 要録」を読んでいる。語録はエピクテトスが話したことを、弟子が忘れないようにって自分用にメモしたのが流失したものらしい。なかなか読みづらい。書いた弟子にしてみたら、自分用のメモだから、文句言われる筋合いないだろうけど。「権内」と「権外」という概念を知ってから読んでいるので、どうしてもそこばかり意識して読んでしまい、そこ以外を流し読みしてしまう。例えとかもよく分からないんだよね。分からないまま読み終えて、「要録」に入ったら、読みやすくなった。「苦痛も恐怖もなく餓死するのは、悩みながらあり余っていきるよりもまさっているからだ。」この境地まで達したら将来の不安なんてなくなるんだろうな。でも、餓死する前に社会が政治が助けるべきだと思う。

復活した午前10時の映画祭で、「ロミオ+ジュリエット」やる!この映画には思い入れがあって、これでレオファンになって、過去の作品見たり、映画雑誌買ったりして、そっからいろいろ映画見るようになったんだよね。映画館に5回見に行った。その映画館も潰れちゃって、もう一館も残ってない。当時は今よりも映画館が沢山あって、一つの映画館で上映が終わったら、別の映画館で上映してって感じだったから、結構長い期間上映してた気がする。初めて買ったサントラもこの映画だった。もう閉店したあのツタヤで買ったんだよ。懐かしい。ポスターも部屋に貼ってた。買ったのは映画館だったけど、当時デパートの9階に映画のポスターとかポストカードや書籍を置いている店があって、そこにも置いてあった。いろいろ思い出してきた。よく学校の近くの本屋で映画雑誌立ち読みしてて、同じく映画雑誌立ち読みしていた同じ学校の子と、そこでだけ話すようになったり、部屋にある映画雑誌見た幼馴染が、実はジョニーデップのファンと知って、雑誌貸してあげたり、レオが出る映画のリバイバル上映に行きたかったけど夜遅くて諦めたり、いろいろ思い出してきた。レオのあの作品見たあの映画館もうないな、私をこの映画に誘ってくれた子どうしてるかな。懐かしさが溢れてきた。見に行こう。10時に映画館に行くのはきついけど、今回から10時にこだわらず、午前中の上映がになるみたいなので、11時くらいになってたらいいな。なんか、好きな映画がまたスクリーンで見られると思うと、元気になってきた。