2021.5.16

土日は読書すると思っていたのにできなかった。イスラエルパレスチナのニュースを持て、中東を舞台とした映画を見るたび歴史や背景を理解していないことを、情けなく歯がゆく思っていて、その時は作品のホームページに書いていること読んだり、本を借りて読んだりするけど、続かないから分からないまま。家にいる時間が多い今こそチャンスかもと思い、調べてみた。今日一回だけやっても理解はできないから、継続してやっていこう。元々調べたり、ノートにまとめたりするのは好きだから、楽しい。楽しいんだけど、悪い癖なんだけど、これやって何になるんだろうとふと、考えてしまった。仕事にもならない転職にも役立たないお金にならないことに時間使ってる場合か、それなら将来に役立つことをした方がって気持ちが襲ってきたけど、そのたび振り切って続けた。社会は日本史を選択していた。理由は、カタカナが覚えられないから。土地の名前か人の名前か混ざっちゃう。今も翻訳もの読む時、名前覚えるのちょっと苦労している。

「コントが始まる」のつむぎちゃんの、私は優しいんじゃない、感謝されたり頼りにされると「自分の存在意義が簡単に保証されるし生きている罪悪感が少しだけ和らぐから」は、わかる、となった。私はそれでボランティアやってたのかもと思うところがある。「そんな夜更けにバナナかよ」にも書いてたよね、確か。でも、私はつむぎちゃんみたいにまではできなかった。人と住まわせてあげるとか、家事引き受けるとか。恥ずかしいけど、目的がそれだから、ボランティアでもやったことに対して感謝されなかったり、反応なかったりすると、イラっとしてた。コロナのタイミングで中止になって、今は再開しているけど、自分はコロナ理由に休んでいる。やめようかなとも考えている。ボランティアに求めてはいけないのかもしれないし、どこにも求めなくても生きていけるようになりたい。そんなことできるのか。今はまだ求めているな、必要とされたい。