2022.1.31

渡辺あやさんが出ているイベントのアーカイブを見て、あやさんが三島の「絹と明察」を紹介していたので図書館で借りようと検索したら、貸し出し中だった。このタイミングでこれ借りられてるって、絶対このイベント見た人でしょ。知らんけど。でも、予約枠がいっぱいだから結局借りられないんだけどね。週末に借りた小説、楽しみにしていたんだけど、あまり好みじゃないかも。

雑用という仕事はありませんって言っている人って本気で言っているのかな。それともそう思い込もうとしているのかな。本気で言っているのなら、そういう人生を歩んでみたかった。いいなあいいなあ。世の中にはいるんだよね、雑用なんて仕事はないって言える人、クソみたいな仕事はありません、クソなのはあなたですって言える人、置かれた場所で咲ける人。そう言える人生だったらよかったけど、この先も言えそうもない人生なので、「ブルシット・ジョブとそれ以外のジョブがあるのではない。あらゆるジョブが、ブルシットなのだ」と唱えて生きよう。そういえば、吉高さんで伊藤野枝がドラマ化されるというので、前から読もうと思っていた「村に火をつけ、白痴になれ」を読んでいる。おもしろい。著者は癖のある文章だけど、読みやすい。

FMシアターで「私の人生は喜ばれない」を聞く。コトミはテレビ局に勤める29歳。仕事は忙しく、公私の区別のない女性上司にこき使われ、なんとかこなす日々。大手不動産会社に勤める彼氏と会う時間も慌ただしく過ごしている。コトミは担当する、不妊治療の企画で、もう一人体験者の取材をするよう上司に言われる。なかなか対象者が見つからない時、友人の結婚式で、5年ぶりに親友と再会。その親友が不妊治療中と知り取材を申し込む。

話しが散漫としすぎている印象。コトミの母親は助産師として働き、一人でコトミを育ててきた。仕事で行き詰ったコトミは、ひょんなことから出産の現場に立ち会うことになり、生まれてきた赤ちゃんを見て、生まれてくることはそれだけで素晴らしいんだ、祝福される事なんだと気が付くんだけど、これが唐突すぎるし、だから何なんだと思ってしまった。コトミは親友を取材した時、「不妊治療がうまくいっていない人は可愛そう」との思い込みから、親友がそう見えるような演出をする。それは自身の思い込みと、上司はきっとこういう映像を求めているだろうとの忖度。その後妊娠した親友から、私はかわいそうじゃないよと言われ、彼氏からはコトミは仕事が好きだから母親には向いていないと言われ、ショックを受ける。そんな時上司から、番組の再放送が決まったと告げられる。親友の場面を直したいと申し出たコトミに、上司は何甘いことを言っているんだ、自分の人生も他人の人生も切り売りする覚悟がないとやっていけないと言われてしまう。で、出産の場面があるわけ感動するのは勝手だけど、なぜこれがその後のコトミの動機につながるのかが分からなかった。しかも、コトミが向かった先は、彼氏のところ。上司の所に行って親友の演出は直しますって言うのかと思ったのに。で、彼氏は大きな仕事を任されていたんだけど失敗して落ち込んで、コトミは励ますんだけど、これはコトミが彼氏の部屋に行ってから分かったことで、これがなかったらコトミは彼氏に何を言う気だったんだろう。コトミが向き合わないといけないのは、彼氏じゃなくてタイトルだよ。「私の人生は喜ばれない」。作中でもコトミがこのタイトルを言うシーンがあるけど、他人に喜ばれなくてもいいのではと思う。自分で自分の人生祝福できればそれでよし。まあ、なかなか難しいんだけど。