2023.8.14

3連休終わるたびに言うけど、3連休あっという間。11日は、暑さで5時半ころ目が覚めてしまい、30分位ごろごろしていたけど、完全に目が覚めてしまったので諦めて起きる。「くもをさがす」を読む。正直読まなければよかったなと思いながら読む。同じ状況になったら、とてもじゃないけど仕事を続けられない。あんなに辞めたくて仕方ないのに、いざとなったらこのざま。治療費は高額療養費制度みたいのでなんとかなるかもだけど、生きていたらお金かかるからね。それを払えなくなっちゃう。お金も大きな問題だけど、治療で体力が落ちて疲れやすかったり、具合が悪くなったりして、家事はできないし、着替えやお風呂も困難。今は親がいるけど親がいなくなったら、一人でやらないといけなくて、どう考えても無理。そして、お金の不安と将来の不安でどうなってしまうんだろうと考えると憂鬱になった。親の介護より自分の老後より先に病気になるかもしれないんだよね。

涼しいうちに運動。西さんの本読んで、改めて体力の大事さを思い知る。今後生きていくために備えないといけないのは、まず体力かも。暑い時は無理をしない、涼しくなってから考えよう。本読んだり、録画していたドラマ見ていらた眠くなったので、寝る。起きたら昼だった。アマプラで何を見ようか散々迷って決められないので、ユーネクスト契約して「キリング・イブ」を見ることにする。ツタヤの旧作借り放題のプランにしようとしたら、新たに登録が必要みたいで、えーめんどくさいなとためらう。ユーネクストのアプリからできないのかなとアプリを開いたら、また1ヶ月無料で登録できますって出てきた。しかし、アプリから契約したほうが200円位高い。安い方がいいし、旧作借り放題も魅力だけど、この暑い中の登録がとにかくめんどくさいのでアプリの方から契約した。早速「キリング・イブ」のシーズン1から見始める。全然覚えていないことに気が付く。見直してよかった。夕方、また1時間位寝る。夕食終えて、19時くらいに買物に出る。スーパーの入っている商業施設内にカフェがあるからコーヒー飲んで読書してこようかなと時間を調べたら、21時まで営業しているので、本を持って出る。しかし、着いたら、短縮営業で19時閉店していた。買い物だけして帰る。

土曜日は途中で起きることなく8時くらいに起きて、いつもの家事。11時くらいに図書館に行く。予約の本3冊借りて、新聞読んで、街中の大きめな図書館へ行く。本を借りたところは小さいので席があんまりなくて、長居ができない。大き目な図書館で、早速借りてきた本を読む。ここは本を読む人より勉強している人が多くて、右隣でプログラミング、左隣で行政書士の勉強をしている人に挟まれて、平山亜佐子「明治大正昭和化け込み婦人記者奮闘記」を読む。「化け込み」というのは、女中や行商人に成りすまして、裕福な家庭の内情や、店で聞いた話を暴露するというもの。下世話と言えば下世話だし、記者自身にも危険が伴うものなんだけど、なんでやったかというと、女性の読者を獲得しようと女性記者採用が多少進んだが、女性記者の仕事は雑用ばかり。当時の新聞記者は「でもしか」と呼ばれていて、新聞記者にでもなるか、新聞記者にしかなれないと言われるような職業だった、男性にとっては。しかし、女性は腕に覚えのある優秀な人が希望する。でも、先に書いた通り仕事は雑用ばかり。そこで海外で先に事例があった「化け込み」を日本でやろうと提案したので、下山京子という記者。これが大ヒットして、以後「化け込み」が色んな新聞で書かれるようになる。2人目で紹介されるのが、中平文子。彼女は別の本で読んだことがある。3人目が北村兼子。彼女はめちゃくちゃ頭がよくて、学生時代の弁論大会で、自分の前の発表者が外国人で、その後に英語で発表しても見劣りするだけだと、急遽ドイツ語に切り替えて発表。それを見た新聞社数社がスカウトするという逸材。しかも化け込みした先のカフェで、客としてきた大学生に、あなたはこんなところで働いないで勉強をするべきだと説得される。隠し切れない逸材オーラが出ていたんだろうか。兼子がごまかしてもその学生はしつこくて、ストーカーみたいになっちゃう。4人目が小川好子。彼女の件は読んでいて辛かった。入社1日目で化け込みを命じられ、向かった先は上野公園。ここに立っていると、男が寄ってきてなにかと言い訳をつけて宿屋に連れ込もうとする。好子は部屋まで付いていき、なんとか断り続け、最後は啖呵を切って逃げるという、お約束みたいに終わる。これらの記事は、上司からばんばん赤入れられて自身の書いたものはほとんど残っていないと、好子が言っていたそう。平山さんも指摘しているように、女性が危険な目に合うのを、面白おかしく消費しているように思う。

この4人も含めて、当時の婦人記者は2年くらいで辞めてしまう。給料が安いうえに、男社会でハラスメントは当たり前、家族からも反対されるし、結婚したら家庭との両立は無理、そして仕事は雑用ばかり。長年勤めた婦人記者がいるけど、彼女たちはもれなく独身だった。

13時過ぎに、お腹が空いたのでお昼に出る。先月母親と行ったパン屋のイートインに入る。ここは何がいいって、まあまあ空いているうえに、女性一人客が多く、なんと店内に手洗い場がある。しかもペーパータオルも置いてある。ありがたい。でも、この日は混んでたな。食べ終わって、マックでコーヒー飲もうかと店をのぞいたら、混んでいたので、図書館に戻る。「明治大正昭和化け込み婦人記者奮闘記」読み終わって、新しい本に手をつけようか迷ったけど、この後食材買って帰らないとだから、体力温存で帰ることにする。買い物して帰って、食材を刻む。ああ、めんどくさい。

日曜日も8時に起きて、家事やって、また図書館に向かう。この日は「自己啓発の罠 AIに心を支配されないために」を読む。「ハッピークラシー」や「世界と私のAtoZ」を想起させる容易な内容だった。資本主義と結びついた「自己啓発」で、やればやるほど不安になり、AIの発達で加速している。自己を啓発することで、社会の問題から目を逸らさせる構造。解決策としては、他者とつながり、目を外にむけること。そして、AIとの付き合いかた。昔だったら教会での告解や、プライバシーの守られたカウンセリングルームで行われていた、自分の内面を話すことが、現代ではネット上で不特定多数に向けて行われる。これを「著者自分」だけではなく、「共著」にすることが大切だという言葉が印象に残った。思い出したのが、去年見た「『その他の外国文学』の翻訳者」の著者たちのオンラインイベント。「共訳」についての質問で、共訳は大変だし時間もかかるけど、自分ひとりで訳していたら気が付かないことに気が付けて、いい本ができる、みたいに答えていたこと。自分は「大変で時間がかかること」を避けようとする傾向があるから、身につまされた。

この日もお昼は昨日と同じ店。昨日より空いていた。また図書館に戻って続きを読む。「自己啓発の罠」は200ページもないけど、読み終わらなかった。「化け込み」より薄いから読み終わるだろうと油断して、「匿名作家は二人もいらない」も持ってきて、合間でこっちを読んでしまったから。結局2冊とも読み終わらないまま帰る。

安住さんのラジオ聞いたら、安住さん声が戻っていた。先週は声がガラガラで、代わりに画家の永山先生がご出演。この先生、とても有名な画家で、コロナ禍で個展を行ったとき、いつもご自身のお母様と一緒に来てくれる2人の女性がいて、その個展の時はお母様が入院中で来れなかったので、女性2名だけで来てくれた。せっかくなのでと近くの喫茶店に移動し話をすることに。コーヒーとケーキが来たので、さあ食べましょうとマスクを外したら、その女性2人が全然知らない人だったんだって。おかしい。

そういば、「それは経費で落ちません」の録画とれてるかなと確認したら、台風情報で撮れていなくて、1話NHK+で見る。森若さんが、給料分きっちり働いて、休みの日は一人で好きに過ごしますって。森若さんみたいに仕事できる人になりたかった。そしたら、休みの日に罪悪感持つことなく過ごせたのかな。まあ、最近は減ってきたけど。いいこといいこと。でも若森さん、結局仕事のために休みまで働くことに。兎は追わないと自分に言い聞かせているけど、過去に兎を追って何かあったのかな。営業が稼いでいるのは自分たちだと、内勤の経理を見下しているんだけど、屋台骨がしっかりしていなかったら屋台は崩れると、経理の部長。その通り。

寝る前に聞き逃しで特集オーディオドラマ「君を探す夏」を聞く。これは再放送で、前に聞いたのがよかったんだよなと、本放送調べてみたら2020年の12月だった。え、去年くらいだと思っていたのでびっくり。蒔田彩珠ちゃんが出ていたから聞いたんだけど、脚本が「舞いあがれ」の桑原さんだったんだ。これも飛行機が出てくる。2020年3月に、10代にコロナ禍での不安を聞かせてほしいと募集した内容が基になっているみたい。2020年の夏、明日から夏休みという日、高1の麻里子は合唱の練習に精を出すが、クラスメイトはどうせコロナで中止になると帰ってしまう。一人で机を戻していると、今日欠席したゆいの机の中に教科書が残っているのを見つける。これなかったら宿題で困ると、麻里子はゆいの家に教科書を届けに行く。ゆいの家に行くと、ゆいの姉と間違うくらい若い母親が出てくる。泣き止まない子どもの声と、父親の怒鳴り声。ゆいの母親は、ゆいは家出した、おおごとにするなとドアを閉じてしまう。

麻里子は合唱部だが、コロナで大会が中止になってしまう。大学で教えている母親は、慣れないオンライン授業と生徒たちのケアで忙しく、最近では一緒に夕食を取ることがなくなっている。

ゆいはコロナで家にいることが多くなった父親と義理の母親のけんかが絶えず、家に居場所がないが、幼い兄弟の面倒を見なければならない。

ゆいのサブアカを見つけた麻里子は、ゆいの投稿でラクーアという世界一大きな飛行機が今日、セントレアに来るかもしれないと知り、もしかしてと思い、セントレアへ向かう。

セントレアへ向かう途中、麻里子は本当は、合唱の大会で空港へ向かうはずだったのにと思う。なんでこんなことにと思うけど、みんな大変なんだからと、麻里子は自分の気持ちを押し殺していた。

セントレアでゆいには会えたが、空港の職員によるとラクーアは、来ないかもしれないとのこと。飛行機が好きなゆいは、ラクーアソ連の宇宙船を運ぶためにウクライナで作られた飛行機であることを教えてくれる。でもソ連崩壊でラクーアが宇宙船を運んだのは1回だけ。その後格納庫の隅で眠っていたけど、ラクーアの大きさに気が付いた人たちがいて、それからは世界各国に救援物資を届けている。東日本大震災の時は、フランスから救援物資を届けてくれたらしい。そして、コロナ禍ではマスクや防護服が足りない国に届けていると。

ゆいは、ラクーアを好きな理由を、エンジンが6つあるところだという。飛行機は通常エンジンが2つのことが多く、例え一つがダメになってももう一つが無事なら飛べるらしい。ゆいにとっては飛行機がエンジンで、自分の支えとなるエンジンは多い方がいいと考えているんだろう。両親の喧嘩が増えて、兄弟が泣くとさらに父親が起こるから、ゆいが負ぶって外にでないといけない。その時、どうか同級生に見られないようにと祈るのだ。こんなこと人に初めて言ったというゆいに、麻里子も誰にも言ったことのないことを打ち明ける。近くに誰でもご飯を食べに来てもいいというカフェがあって、入る勇気がないから、今度一緒に行こうとゆいを誘う。麻里子の父親の話題は出てこないんだけど、夕食を一緒に食べようと母親の仕事を終わるのを待っているけど、遅いのでそのまま寝てしまって夕食を食べないことが多いって話から、父親はいないのかもしれない。そして、麻里子は一人でご飯を食べるのが嫌なのかもしれない。でも、それを忙しい母親には言えない。

結局ラクーアは来なくて、麻里子とゆいは、合唱の課題曲、スピッツの「空も飛べるはず」を歌って終わる。

なんとなくのあらすじは覚えていたけど、ラクーアウクライナ語で「夢」で、ソ連が宇宙船を運ぶためにウクライナで作られた飛行機だということは、全く覚えていなかった。放送の最後に、脚本家の桑原さんからのメッセージがあって、ラクーアは、去年の2月、ロシア軍に爆撃されたらしい。

麻里子やゆいの寂しさや不安、どうにもならない現状への憤りが丁寧に書かれていて、改めて、10代の1年と中年の1年は違うなと思った。中年の1年に価値がないというわけではなくて、全部じゃなくても、まだやり直しがきく面があると思うんだよね。でも、麻里子の高校1年の合唱大会は、もう永遠に戻ってこない。

空も飛べるはず」聞きながら、そういえばあやさんもスピッツの曲使ってたなと思い出す。

月曜日、夏休みの人が多いのか、地下鉄がガラガラ。今日行けば明日休みだけど、今日行かずに明日も休みたい。明日休みだけど、1日の休みなんてすぐに終わってしまう。3年位休みたい。明日の休みは嬉しいし楽しみなんだけど、それが終わった後の勤務が憂鬱すぎて嫌。来週夏休みあって、4週連続殊3日休みなんだけど、それが終わるとまた週5勤務に戻るのが今から憂鬱すぎて嫌。もう明日の夜の落ち込みが予想できてすでに憂鬱。同じ気持ちに来週の休み前になるんだろうと、それも重なって憂鬱倍増。「自己啓発」に仕事で必要な勉強は含まれてないんだよね。昨日図書館で隣の席にいた人は、小児看護の勉強をしていた。どうせ働かないといけないなら、こういう仕事人生の方がよかったのかなと思ってしまう。いや、もちろん看護師は大変な仕事であろうことは分かっているし、隣の人がこの仕事人生でよかったと思っているかどうかなんて知らないけど、どうせ働かないといけないんなら、少しでも手ごたえややりがいや成長があった方が続くんじゃないかなと。諦めたはずなのに。