2023.9.12

「小公女」を見た。感想にはネタバレあり。ミソは家事代行として働き、楽しみは煙草とウィスキー。家主から家賃の値上げを告げられたミソは、煙草・ウィスキーと家賃を天秤にかけ、家を諦める。ミソはスーツケースとリュックに荷物を詰め、学生時代のバンド仲間の家を転々とする。

ミソが訪ねていくバンド仲間の現在が様々で、激務で体を壊していたり、結婚相手とその親にこき使われていたり、結婚8ヶ月で妻が出て行ってマンションのローンだけが残っていたり。年齢設定は分からないのだけど、イ・ソムが1990年生まれで、映画製作年の2017年に27。30前半としても、あんなに白髪になるかなと考えてしまった。でも、30前半で白髪を染めない女性主人公はなかなかいない。

30前半で嗜好品と家賃を天秤にかけて、嗜好品を選んで家を失くして、スーツケース持って友達の家を転々とするって、これからどうするのって思うと同時に、ミソがあまりにも淡々としているのと、1杯のウィスキーを大切に思っていることが伝わってきて、こんな生き方に憧れてしまう自分もいる。仕事はきっちとこなし、煙草とウィスキーがあれば、それでいいなんてかっこよすぎる。あと、ミソは焦燥感とか劣等感をいだかないのかな。友達は、キャリアを築いていたり、結婚して子育てしていたり、マンション買ったり、学生時代から変わっているのに。ミソは大切なものがはっきりしているから、それ以外はいらないんだろうか。憧れる。自分なんかもう手に入らないと分かっているのにうじうじと。でも、現実問題として家どうするんだろう。

映画「パラサイト」やドラマ「アンナ」では、高いところが裕福層、下に行くほど貧しくなると高低差で貧富の差を表していたけど、「小公女」では、上に行けば行くほど、部屋は汚く狭くなる。電気さえつかない部屋はさすがに前金はなかったけど、他は前金500万ウォン。ソウルは家賃が上がっていると本で読んだけど、高い。「月まで行こう」でも、お金がなくて欠陥のある部屋に住んでたもんね。

煙草の使い方も上手かった。バリキャリ友達にとっては吸っていたことがばれてはいけないもので、結婚した友達は吸う暇もない、妻に出て行かれ友達とは一緒に吸うことで慰めて、実家暮らしの先輩の家ではカートンで渡すことでミソを引き留めようとしたり、子育て中の友達の家では旦那が吸うのに付き合ったことで常識がないと怒られる。女がキャリアを築くうえでも、結婚生活のためにも、煙草を吸っていたことやバンドをしたいたことは隠さないといけないことらしい。過去をなかったことにして今を生きている彼女たちにしたら、未だに煙草を吸って、ウィスキーをたしなみ、嗜好品のために家を諦めるミソの生き方は理解できないだろう。子育て中の友達が、ミソに説教したくなるのも、自分の生き方を否定されたように感じるからなのかな。

ミソは不安定な立場なのに淡々と生きていて、人を気遣える余裕がある。余裕と書いていいのか分からないけど、料理が苦手なのに義理の両親と夫のために料理をしないといけない友達のために作り置きを作ったり、妻に出ていかれてセルフネグレクト気味になってまともな食事をしていない様子の友達に朝食を作る。仕事を契約している家に行ったら、その時間にはいないはずの家主がいて、仕事を辞めてネイルサロンをするんだと話すけど、多分彼女の仕事は水商売で、それでお金を貯めたと疲れた様子で話す。ミソは彼女の話を聞いて、食べたいものを作ってやる。人にやさしくするって、自分に余裕がないとできないと思うんだよね。

行く場所を失ったミソ。葬式らしい集まりのシーンがあり、一瞬どきっとしたが、ミソがテント暮らしをしている場面で映画は終わる。ミソの生き方を肯定的に書いて、でも友達の人生も否定することなく平等に書く視線がよかった。とはいえ、家がないのは、気になる。家賃も煙草もウィスキーも値上げ。多分賃金は上がっていない。

岸辺のアルバム」、繁の様子がおかしいことから、則子は北川と会うのをやめる。昨日高2と書いたけど、繁は高3だった。健作が武器の輸出に抵抗を示すのは、自身の戦争経験も影響していた。そういえば、武器の製造を依頼する工場も、先代が戦争で息子を亡くしているから気が進まないという話もあった。この作品は1977年だから、終戦から32年。39歳の則子より若い部下は、戦争を知らないんだ。戦争のことを頭に置いて見ると、単純に健作の考えが古くなったと言ってはだめだなと思った。律子はチャーリーの友人からレイプされる。それを知った繁はチャーリーを殴るんだけど、逆にやられてしまう。高3にしては繁の言動が幼いというか、律子に言われるように、あの年なら家族のことにあんなに興味持つかなと思うんだけど、おせっかい息子の繁にちょっと救われている。丘はこのこと知っていてチャーリーを律子に紹介したんだろうか。律子と丘がお互いに裸になって話す場面てなんだったんだろう。原作本のプレゼントが、500名。太っ腹すぎ。

昨日はまた落ち込んだ。どう考えたっておかしい。どうせ死ぬ。とりあえず3連休まではこれで乗り切る。どうせ死ぬなら仕事のことで悩むのなんてばからしい。どうせ死ぬなら、こんなはずじゃなかったという思いが拭えない。こんなはずじゃなかった。受け入れられない。涼しくなってきて運動量増やしているけど、食欲が落ちない。涼しくなってきて本も読めるようになってきたので、やっぱりあの暑さではまともな生活はできない。生活のためにクーラー付きの部屋に引っ越す。生活はお金がかかる。人からどう思われるかが気になるなら気になるでいい。情けない自分が、仕事のできない自分が、社内ニートの自分が、キャリアのない自分が、転職もできない自分が、受け入れられないならそれでもいい。全然大丈夫じゃない。大丈夫な振りしているけど全然大丈夫じゃない。

先週の安住さんのラジオで面白い話が合った。「しゃれこうべ」をおしゃれな神戸を褒める言葉だと勘違いしていた投稿者は、取引先のデザイナーが神戸出身でセンスがいいので、褒めるつもりで「しゃれこうべ」を使っていた。それを聞いていた上司が、あれはわざとなのと聞いてきたことで、しゃれこうべが頭蓋骨のことだと知った。今まで「しゃれこうべですね」と言うとデザイナーが困ったような顔をしていたのは照れていたのだと思っていたけど、本当に困っていたのかもしれないって。おもしろい。

「絶望名言」の老子を2回目聞いた。老子は、いじけが入っているのがいい。あと、開き直りともとれる表現。何もしていないをなすみたいな。本読んでみたいけど、難しいらしい。今週は「絶望名言」聞けなくなったちゃうまで聞こうと思っていたけど、柚木さんとゆっきゅんがそれぞれゲスト回のポッドキャストが配信されているので、そっちも聞きたい。ゆっきゅんのライブ行ってみたいな、地元に来てくれないかな。