2024.1.5

「なぜエヴァンスに頼まなかったのか?」おもしろい。

録画を忘れていた「100分で宗教論」を見逃し配信で見た。釈徹宗さんが紹介した「予言がはずれるとき」。神からのお告げが聞こえるという女性の元に集まった信者たちの中に紛れて取材した本。12月21日に地殻が変動するような大災害が起こるだろうと予言するも、はずれる。しかしその後神から、私たちが神の言葉を信じてこうして集まったから、そのおかげで災害を免れたと言葉があったと、その女性が発言することで、より、彼女を信じるようになったと。これは、認知的不協和というもので、人は認知しているものと現実とに矛盾がある状態に耐えられずそれを解消しようとする。例えばタバコは体に悪いから禁煙しないといけないと分かっていてもできないとき、「タバコを吸わないストレスの方が体に悪い」とか正当化するような理由を探してくる。これに対して、最相さんが旧ジャニーズのファンの行動を指摘していた。丁度読んでいる「ネガティブ・ケイパヴィリティで生きる」を思い出した。矛盾に対してすぐに答えを見つけようとせず、立ち止まってみる。

続いて最相さんが紹介した「ニコライの日記」。幕末、キリスト教の伝道師として来日したニコライの日記。彼はロシア正教の伝道師で、当時の日本ではヨーロッパへの憧れからカトリックが多くの信者を獲得していた。それに対してニコライは、ヨーロッパという表面しか見ていないと批判。また、どんどん資本主義へと傾いていく日本の様子も書かれているらしく、その文脈で福沢諭吉のことも批判してたっぽい。あと、日本とロシアの関係が悪化した時、ニコライはロシアのために布教するのではないと、国と宗教を分けて捉えている。この頃は国と宗教は分けて考えられていたとの指摘が興味深い。

片山さん紹介の「大義」、これ、黒田大輔さんの朗読のうまさと相まって怖かった。天皇こそが唯一の存在で、天皇のために死ぬのが本望と、戦場から息子たちに書き送った手紙を、杉本の戦死後にまとめたもの。こういう言葉は黒塗りにされないんだね。しかし、敗戦後その大義はひっくりかえされる。その中でも懸命に生きた人たちを書いたのが城山三郎大義の末」。

最後が中島さん紹介の遠藤周作「深い河」。サンスクリット語には与格というものがあり、これは「私は喜ぶ」を「喜びが私に訪れた」と言い表すみたい。河が表すものも説明されていたんだけど、最後の方集中力きれてきてうろ覚え。紹介されていた本が全部面白そうで読みたい。

積み立ては解約すれば全額戻ってくるし、満期になった時に判断しても遅くはない。消費とかしている場合じゃないんじゃないかと思ってきた。いつまで働けるか分かんないし、老後の資金も貯めておかないといけないし、将来のこと考えようとすると憂鬱になる。でもなあ、備えておかないと。考えたくない。3連休のことだけ考えよう。あー怖い。将来が怖い長生きが怖いいつまで働けるか分かんないしでも働きたくないし年金はもらえないし親が亡くなったら一人だしそして鬱になるし部屋は借りられなくなるしでも考え得る最悪の事態なんて飛び越えた最悪が待ってる。はず。でも状況を変えるなんて無理だし、変えようという気力もないし頑張れないし、他力が来るまで待つしかない。コロナ増えているみたいだし、3連休は大人しくしていよ。バーゲンは見に行かない。読む本をたっぷりあるし、また図書館に2冊届いているし、読み切れるか。正月休みに瑕読んで、大奥も読み返すつもりだったんだけど、図書館の本読むので精いっぱいで手が回らなかった。

アト6で今年カルチャースケジュール特集をしていて、宇垣さんが「哀れなるものたち」を紹介した時に、「ヨルゴス・ランティモス」を擬態語として使っているのがおかしかった。この映画楽しみ。アマプラ限定100円レンタルはよく確認しているんだけど、結構またこの映画対象になっているというのが出てきて、「ベルイマン島」にても最近よく見るなと思って、どんな内容だろうと詳細確認したら、監督がミア・ハンセン・ラブだった。詳細確認してよかった。見逃すところだった。

なんか、あんまり書くことないな。やる気があってもやることないんじゃどうにもならない。だからやる気が減っていくんだよね。知らんけど。これが死ぬまで続くことは考えたくもないんだけど、仕事ないと生活できない以上受け入れなければならないんだけど、役立たずだからくびになるんだろうな。役に立たなくたって生きていていいけど、仕事をする上では役に立った方がいいに決まっている。仕事をしなくても生活できるのならいいけど、そうもいかないので、仕事を続けられるかどうかが大事で、それにはやっぱり役に立つかどうかなんだよね。自分の現状を肯定したたいがために本を読むけど、できない。仕事を辞めたいくせにいざくびになったらそうとう困る。生活のために割り切る、お金のためにしがみつくって、選択肢はないことを自覚しているから辛いんだけど。転職できると思っていた時は、転職活動自体は辛かったけど、今とは違う辛さだった。頑張ればなんとかなるかもしれないと思えた。頑張ってもどうにもならないものはどうにもならない。分かったから辛い。諦めたから辛い。辛いのやだ。仕事行きたくない。ずっと休みたい。現状を認識したって何にも変わらない。辛いがもっと辛いになるだけ。誰かに助けてもらいたいけど、誰も助けてくれないから期待しないようにする。仕事を人生の中心に置かないことができるのは、そうしなくても生活できる確信があるからで、共同体での暮らしや実家が裕福とか、いや、そうじゃなくてもできる人もいるだろうけど、自分にはできない。働けるように頑張らないといけない。頑張りたくない。もう無理。どんなに本を読んだって救われない。なのにまだ読もうとしている。仕事辞めたい。長く休みたい。3年位休みたい。3年休めるくらい貯金して、貯金がなくなったら死ねればいいけど、びびりだから絶対できない。貯金が減っていく生活に耐えられる気がしない。考えただけで今怖くなってきている。3連休のことだけ考えるはずが、なんでわざわざ辛くなることばっかり考えてんだろう。3連休が永遠に続けばいいのに。わかった、休みのこと考えると、自動的に休みが終わった後のことや休みは永遠に続かないことが連続してでてきて、辛くなるんだ。知らんけど。休みが永遠に続けば解決するのに。現実味のない解決策しか思いつかない。休みは永遠に続かないし宝くじは当たらない。