2024.1.22

今回の新作レンタル、品ぞろえがいまいちだった。迷うことなく借りなかった。

土曜日は、いつも通り家事。見たい展覧会があって、見てから図書館に本を借りに行くか、それとも借りてから行くか、借りに行って一旦本を家に置いてか迷って、一旦家に置くのはめんどくさいからやめて、帰りに疲れて取りにいけなかったら1冊が期限切れてしまうので安全をとって先に借りに行った。3冊重たい。展示会場にはコインロッカーあるの分かっていたから、そこに預ければいい。両方済ませて、展示会場の近くは普段来ることがないので、せっかくなので近くのカフェに寄る。借りた「狂うひと」を読む。面白い。島尾敏男の「死の棘」のモデルになった、妻ミホの側から見た「死の棘」を書くノンフィクション。「死の棘」は読んだことがなくて、ミホ原作の「海辺の生と死」の映画版を見たことがある。本は900ページ越えで、実際に取材したり参考にした資料はもんのすごい膨大なんだろうなと分かる。ミホの家系はユカリッチュと呼ばれる島の支配層で、一家が島でどのような存在だったかを追うため、島の歴史も書かれている。そこで、薩摩藩の直轄地にされた奄美は、サトウキビの生産地だったことから、黒砂糖での納税を強要される。その黒砂糖は高い値で取引されるが、藩が独占的に島民から買う黒砂糖は4分の1以下の値段。米を作る畑をサトウキビ畑へ替えられた島民たちは、不作時には多くの餓死者も出した。薩摩藩明治維新で大きな役割を果たしたが、それを支えた財政は、植民地支配をして奄美から得た莫大な利益だったという。「砂糖の世界史」に書かれていたことそのまんま。砂糖の製造には広い土地と多くの人員が必要なため、植民地支配と奴隷制度が必ずある。恥ずかしながら、日本でも行われていたことを知らなかった。

いやー、面白い。「死の棘」は自身の不貞により狂気に陥った妻を書く私小説。しかし、様々な賞を受賞して文壇での評価が高まっていくと、純愛を書いた小説として読まれるようになる。特にミホは無垢で純粋な「少女」として読まれるようになるが、当時ミホは25歳。東京の女学校を卒業し、島では代用教員を務めるほど教養もあったが、少女性を与えられ、巫女の家系であることを強調されたのは、2人の恋を純愛として際立たせるためではないかと。そして、実はミホの方が「死の棘」よりも早く、このことを発表していたこと、亡くなる1年9か月前の2005年6月の時点でも「死の棘」を妻の側から見た原稿を書こうとしていたことが分かる。ミホが養女だったということは、島では公然の秘密だったようだけど、ミホは最後まで語ろうとしなかった。著者がたまたま近くを通りかかったのでミホの両親の墓参りをしたということを話したところ、彼女の態度が硬くなり、その後ミホからもう取材は受けられないとの連絡が入る。事情を知らない島民の中には、両親のことをミホの祖父母だと思っていたという人もおり、事実父親とは50歳離れていた。墓に刻まれた生年月日から養女であることがばれるのではないかとミホは危惧して、取材を断ったのではと推測する。

帰り本屋に寄ろうかなと思ったけど、荷物が重いのでまっすぐ帰る。有言実行で「ペルシャ・レッスン」見る。

寝る前も「狂うひと」を読む。これも「アンダイング」も次の予約が入っていないから焦らず読める。と思っていたら、今日市内からも市外からも本借りられるよってメールが。しかも2冊とも小説。小説読みたいと思っていたので願ったりかなったりなんだけどさ、ばらけて届いてくれていいのよ。

日曜日、親と食事に行くので、出かける前に家事を済ませる。たまに行く回転ずしに、いつもは11時開店に並んではいるんだけど、この日は少し遅れて11時15分位に着いたらすでに満席。20分位待って入る。母親が老人クラブの新年会に着ていく服がほしいというので、見に行く。母親がよくいく店が近くにあり、本人はそこで見つかると思っていたらしいが、見つからず、ショックを受けている。別のところを見ればいいだけだと言っても、この店にこだわりでもあったのか、落ち込んでいる。少し離れた商業施設で探すと、気に入ったものがあったみたいで、安心する。紫のニットに、その日履いていた黒のパンツを合わせると

ぴんとこなかったけど、デニムを合わせると似合っていて、母親も私と同じくコントラストが苦手なのかもと思った。セールを何軒か見て、サイドにラインが入ったパンツがよさそうなので試着したらサイズが合わず、やめる。休憩にカフェに入ろうとしたら、いつもはすぐ入れるところが、2組待っていた。その後すぐ入れたんだけど、店内席が結構空いている。店員が少なくて回せなくなっているのかも。母親は健康診断で医者から痩せるように言われたらしく、いつもはジュースを飲むことが多いんだけど、今日はお茶にすると言っていた。

家に帰って「ベルイマン島にて」を見る。次の週末に見ようと思っていたけど、その週末に新作DVD110円のクーポンが届く気がして、新作を見るためにこの日に見ておく。大河があるから全部は見られなかった。「光る君へ」おもしろい。「あさきゆめみし」しか読んだことなくても、これはあの場面ではと気がつけるので、「源氏物語」知っている人はもっと楽しめるんだろうな。教養ってこういうときに必要だよね。暖かくなったら大河ドラマ館行こうかな。憂鬱タイムがやってくる。でもね、前ほどじゃないんだよ。波はあるけど絶対に前より憂鬱にならないし、なる時間が減っている気がする。いいこといいこと。とはいえ、まったく憂鬱にならないということではないので、憂鬱は憂鬱。休み2日じゃ全然足りない。月曜日が憂鬱じゃない人もこの世にはいるんだもんね。最強だな。

展示会、寒いし、次の日も用事あるしどうしようか迷ったけど行ってよかった。やっぱり大河ドラマ館も気になる展示もいろいろ行こうという思いを新たにしたんだけど、その一方で、そんなことしている場合かという声も消えない。貯金したほうがいいに決まっている、貯金すべき、働き続けるために勉強したほうがいいに決まっている、将来どうするつもりなの、保証人がいないから部屋も借りされない、入院もできない、その時お金もなかったらどうするの、仕事なかったらどうするの。どうしよう。なんとかなると思えない。となると備えておくしかないんだよね。仕事をなんとかするのは無理だし、結婚する気もないし、そうなると貯金か。ほら、旅行なんて言っている場合じゃない。罪悪感も後ろめたさも持たずに休めないものか。は、寒い時に考えちゃだめだ。浮かれている時に考えよう。金曜の夜とか。レンタル終わった後に考えよう。一番浮かれているときと思うし。多分。

一度はまると続けて同じものを食べるタイプなんだけど、サラミはまずい気がする。中年だし、コレステロールとか考えたら絶対まずい。先週買ったソフトサラミ、冷蔵庫で冷やしたら少し硬くなって好みに近づいたんだけど、近づかなくてよかったのに。食べちゃうじゃん。