2024.3.29

毎月末に届いていた新作110円のクーポンが、今月も届かない。いつからだろうと調べたら、多分11月からかも。もう届かないのかな。物価高の影響がここにも。本の重版がかかると、値上がりするらしい。紙代とか印刷代が上がっているから。値上げ自体は仕方がないと思っている。上がった分を印刷業者や出版社がかぶれとは思わない。悪いのは給料が上がらないし、税金が高くなっていること。いつまで自民党政権が続くんだろう。

週5で働いたから体調が悪い。今朝起きたときぐったりだった。来週も週5日。考えただけで疲れてきた。今頑張らないと、今役に立つ人間にならないと、この後大変なことになるのは分かっている。でも、頑張れない。何を頑張ったらいいんだろう。降りることもできず、頑張ることもできず、ただただやりすごして、辞めたいのに辞められない自分が情けなくて、いつかきっと後悔する。「灰の劇場」の二人のようにできたらいいけど。

仕事を任されている人を見ると嫉妬する。仕事に積極的な人を見ると嫉妬に加えて、後ろめたさと罪悪感と焦燥感が来た後に、諦観がくる。諦め。無理だもん、まず機会がないし、あったとしてもできる訳がない。だからといって、後ろめたさなどはなくならないので、自分がどうしたいのかがわからなくなる。長く働きたいけど今すぐ辞めたいし、仕事頑張りたいけど頑張りたくないし、仕事ほしいけど増えてほしくないし、どっちだよ。知らんし。もう手遅れだけど今で手遅れならもう間に合わないし今やるしかなくてでも何をしていいか分からないしという気持ち、今。今というか、常にか。今はそれが強かったってこと。嫉妬だけだと何とかやり過ごせるんだけど、加えての感情が増えると落ち着かなくなる。無気力なのかもしれない。ボランティア募集した時も、前の自分なら参加していたかもと思ったように、前はやる気があったんだよ。完全に方向が間違っていたと今ならわかるんだけど。もうない。こんな目に合わせた今のところで頑張りたくない。そんなこと言っている場合じゃないんだけどね、自分で自分の首を絞めているのかもしれない。

前から読みたいと思っていた、寺地はるなさんの小説を読む。「わたしたちに翼はいらない」。ちょっと南綾子さんの「死にたいって誰かに話したかった」を思い出させるような話だった。話自体は全然違うんだけど。寺地さんは殺したいで、南さんは死にたい。「わたしたちに翼はいらない」の園田と莉子は、この関係性は何て言うんだろうという関係性の中で、勝手に一人で救われていく。ここがよかった。2人とも相手にすがる気持ちはあって、相手が自分の理解者だって思ううんだけど、それが勘違いだって分かって、分かったからこそ、救われたのかもしれない。小砂川チトさんが、どうしようもない状況の人が第三者にあって救われるというのは、もう今の時代どうなんだろう、主人公は徹底的に一人、一人で救われる物語が書きたかったと話していたのも思い出した。佐々木は少し違った気がする。佐々木は2人にすがろうとしなかった、逆に園田に依存させてしまうかもと距離を置いた。私は莉子が怖いと思った、佐々木の堂々とした姿に憧れる。その佐々木もかっこよくは書かれていないところもいい。ただ、鈴音ちゃんの気遣いがすごすぎて、ちょっと心配になる。それとも、あれができる人は、子どもの時から自然にできるんだろうか。

小砂川さんの言葉を調べるために、過去の日記遡ったら、「家庭用安心坑夫」読む前になんとなくの内容で、「JR高田馬場駅戸山口」を思い出し怯え、読み終わったら「もう終わりにしよう。」を思い出していた。「もう終わりにしよう。」は文体と言うか、現実か妄想か分からない書き方だったり、はっきりしない結末だったりの、そういう内容とは別のところ。他の4作品は、何か通底するものがあるのかな。小砂川さんの新刊も読みたい。