2024.4.3

尾野真千子さんの朝ドラナレで、小林薫さんが出てきたとき「これは怒られる感じです」って言っていて、糸ちゃん、善ちゃんにいっぱい怒られてたもんなと思い出す。

「常設展へ行こう」で、富山県美術館にポスターが沢山所蔵されていると知る。これは、行ってみたい。ニュースで、愛知県美術館に個人から、絵を寄贈したいとの申し出があり、美術館側が何点か候補を出して、その中の1作品を5億で買って寄贈したと。すごいね、篤志家っていうのかな、私にお金があったらこういう使い方をする人になりたい。本読んでいても、個人所蔵から始まった私設美術館も掲載されていて、ありがとうと思う。大原美術館なんてすごい昔からあって先駆けも先駆けだったんだな。倉敷は朝ドラカーネーションのロケ地なので、2012年に行っているけど、大原美術館はいかなかったんだよね。当時はいかないこともなかったけど、美術館をどう楽しんでいいか分からなくて、最近はまあ、よくわかんないけどいいかみたいな気楽さと、あとあれば音声ガイドを借りるようにしているのも大きいと思う。みんぱくはあったけど、常設展に音声ガイドはあるのかな。

どこかに行きたい。旅行とかじゃなくて、ふらっと行って、近くでいいから、そこでふらふら散歩して、パン屋があったらパン買って、カフェがあったらコーヒー飲んで本読んで、帰ってくる。そんだけ。休みたい。週5で1日8時間働くのが無理なら、週3で1日5時間でそれまでと同じくらい稼げるように努力をしなければいけない。私にはその努力ができなかったので、今のところで働き続けるしかない。「ひきこもりラジオ」を聞いたら、新年度で環境が変わったり、新しいことに挑戦する人も増える中で自分だけが取り残される気がするとのメールがあり、これ1年前にも同じようなメール読まれたなと思い出す。1月もさ、新しい年、新年、今年の目標とかで、取り残され感を感じることもあると記事で読んだこともあるけど、私は断然4月が憂鬱。正月はまだ、休みだしのんびりした雰囲気があるけど、4月はない。のんびりなんかしていたら追いていかれる。今年の新入職員はいきなり週5勤務で大変だね。のんびりもよそ見も寄り道も休憩もだめ。激務で大変な人に比べたら全然大変じゃないのに、情けないし申し訳ないんだけど、それでも辛い。降りるのも休むのも、それまで頑張ってきたことが前提で、そしてその頑張りが報われないから、降りようとなる。もし、頑張りが報われて、給料は上がり出世もでき、家も買えて結婚出産もできるなら、降りないのかな。寝そべり族も七放世代も、頑張っても給料は上がらず、家も買えず結婚もできないから、寝そべるんでしょ。頑張りが報われるなら、起き上がる?いつまで頑張れる?報われ続ける限りは頑張れる?どうしたらいいんだろう。仕事のことは考えたくない。将来のことも考えたくない。備えていないから憂いばかり。旅行も行かないで貯金に回した方がいいのではないかと、でも元気なうちに行っておかないと旅行には行けないと、そんなんばっかり。なのに、海外行こうかまだ迷っている。往生際が悪い。だってさあ、長い休み取れることなんてめったになくて、今年が取れそうで、まだ親の介護はないし、自分も今が一番元気だし、でもでも、諦めて京都に全力投球しなさい。長い休みが取れるんなてことがないんだよ。長いといっても平日5日、前後の土日合わせて9日間。そりゃ、日本の本が分厚くならないはずだ。それでも私とっては長い休み。昨日の夜、死ぬまでにしたいことを考えていて、今までに何回も考えたことはあるんだけど、これという具体的なことは思い浮かばなくて、旅行に行けたらいいとか、面白い本を読みたいとか、面白い映画とドラマを見たいとか、そんなん。今もしていることで、じゃあ今死んでもいいかと言われると、それはちょっと。

後2日か。早く休みたいし早く帰りたい。もうここにいたくない。どうしたって選べないんだから、諦めないと。3年位休みたい。上層部の女性で、女性が話し持っていくとごねるのに、男性がするとまあまあすんなりという人がいて、まあ、普段から男女や役職ついているかどうかで態度が全然違うから分かる人は分かるけど、分かんない人は分かんないよね。分かんない人に説明しても分かってはもらえないから、説明する気もないけどさ、なんだかな。早く休みにならないかな。図書館に「現代思想」2月号が届いている。特集は「パレスチナから問う 100年の暴力を考える」。「ガザとは何か」が読み終わったので、引き続き勉強。まだ予約枠に空きがあるから、これ取りに行くのに合わせて、高山羽根子さん予約した。芥川賞受賞の「首里の馬」がよかったから、他のも読みたいと思っていた。枠に余裕があって、自分にも余裕があると、いいね。少し前は本に追われていたけど、今落ち着いているのよ。沢山よもう。

老後に編み物をしようと思っているなら、その前からやっておいてある程度できるようになっていないと、老後に突然やっても肩は痛いし目は疲れるし、勘が働かないので全然できないらしい。これは編み物に限らずだよね。私の趣味は目を使うものばかりだから、老後に目が見えずらくなったらどうしようとは思っていて、目を使わない趣味を、そろそろ探さないといけないのかも。目を使わない趣味って、少ない?分からん。ラジオや朗読を聞くとか。人生は暇つぶしと、みうらじゅんさんも言っていたし、暇つぶしを探そう。そもそも人生というのは暇なものなのか?だから人は忙しいのを自慢するのか?だからの意味が自分で書いててもよくわかってないんだけど、忙しい自慢する人いるよね?自分のコンプレックスのせいでそう聞こえるだけなのか?でも、人と会ったら、仕事忙しい?とか、最近忙しい?とか、挨拶のように聞く人いるよね。つまり、人生は本来暇なんだけど、なぜか忙しいのがいいことみたいになっていて、暇なことを悟られないために、忙しくしているとか。知らんけど。悟られないためにだったら、暇ってことじゃん。はて?