2024.4.9

死にたくないなら、どうすべきか。とりあえずそうなんだで終わって、考えるのをやめようと決めたけど、決めたぐらいで私が考えることをやめられるわけがない。10年後に死ぬならは、とりあえず10年は生きるということで、10年後に死にたくないなら、これも10年は生きているわけで、つまり10年は生きる。10年後に死ぬならやりたいことは、死にたくない。

「あとは寝るだけの時間」聞いていたら、4月になって新入社員や学生に送りたい漢字一文字は?に、向井さんが平、児玉さんが辞、又吉さんが耐だった。おもしろい。冒頭でハルオミ君という小学4年生の子のお母さんから、いつも聞き逃しで聞いているけど春休みに9時まで起きていてはじめて生放送で聞いたら、ハルオミ君が今これしゃべってるのととても興奮していたとのかわいらしいメールがあった。私もいつも聞き逃しで気がついていなかったけど、これ生放送なんだ。すごくない?終わりもきっちりお決まりの〆の言葉が間に合うし、はじまりのフリートークも面白いし盛り上がるし。

京都の予定ぼちぼち立てているけど、その前にGWの東京を何も考えていなかった。

しかし、死なないとなると仕事のことを考えないといけないのだ嫌だ。辞めたいけど、死なないなら辞められない。死んだって辞められないのに、死なないならなおさら。どうしたらいいんだ。とりあえず、そうなんだで終わろう。とりあえず終わり。しかし、分かったところで何も変わらない。本当に分かったのかな、あれが本心なのかな。寅子みたいな覚悟を持てない。地獄へ行きたくない、血なんか流したくない。地獄へ行って血を流さないと変わらないなら、そのままでいい。置かれた場所で枯れる。咲かない。

「光る君へ」のファンミを見た。ウイカちゃんの機転の利かせ方がすごい。会場に赤ちゃんがいて、泣き声が「にゃー」に聞こえて、そしたらステージ上の演者たちが猫?ってなったら、ウイカちゃんが「小麻呂?」と。そこから、小麻呂を探しにいったまひろが男性たちの会話を聞いてしまった回に話が及んで、吉高さんが柄本さんに「道長は否定しろよ」と言い、町田さんには「公任が一番ひどいこと言ってたからね」と突っ込む。吉高さんがドラマの展開に突っ込むのとてもいい。兼家に虫けらと呼ばれたことから、どうせ虫けらですからといじけてみたり。ウイカちゃんは大河関連の番組によく出ていて、結構見ているんだけど、毎回衣装が、色に色に柄に柄に加えて装飾さらに重ね着という、ウイカちゃんしか着こなせない。それに負けてないのがすごい。

今のところもなかなかの地獄だけど、まだ恵まれた地獄なんだろう。給料出るし、それで生活できているし。結局考えてしまう。杉田さんのツイートを読んでいると、時間はあるのに鬱で本を読んだりすることができず、その暇な時間にずーっと考えてしまうらしい、将来のこと自分の現状などなど。これは辛い。死なないということは鬱になることを真剣にとらえないといけないのか。でも、考えすぎるのもだめなんでしょ。どうすりゃいいの。考える時間をなくす、そのために忙しくする。これが最適解な気がする。ああそうだよ、変えたかったよ、仕事を人生を。いざとなった死ねばいいと言えなくなったら、どうしていいか分からない。いや、言っていても分からなかったから同じか。じゃあ何が変わったの?だから、やめ。

手術して、その後2週間は安静だから病欠している人が、この日から出勤しますの日より前にもう来ている。大丈夫なんですかと聞いたら、家にいてもつまらないし、仕事が気になるので来たそう。午前中では帰ったみたいだったけど、信じられない。2週間安静の診断書が出たら、絶対出勤しない。ただこの人は、仕事があって、来ても受け入れてくれる同僚なり上司なりがいるということだよね。私はない。コロナが流行り始めた頃も、家にいてもやることないからと仕事に行きたいという声もあったもんね。信じられなかった。ただ、資本主義を生きていくには、断然私みたいじゃない方が生きやすいんだろうね。ちょっとうらやましいもん。

 

先月放送された「ケの日のケケケ」というドラマがとてもよかった。感覚過敏のあまねは、かけていても声は聞こえるヘッドホンが必須。まぶしいとサングラス、食べられる食材は限られ、どんなに美味しくても食べられない、どんなに好きでも触れ合えない。「不機嫌なモンスターにならないためには、たゆまぬ努力が必要だ」というように、あまねは自分がどうしたら快適に過ごせるかを知っている。高校に入学したあまねは、先生から部活入部は必ずだと言われるが、入ることのできる部活がない。そこで、同じクラスの進藤と、何もしなくてもいい「ケケケ同好会」の設立を決める。進藤は陸上で期待された選手だったが、タイムを競うことにのめりこむあまり、タイムの上がらない部員たちを努力しないからだと見下すようになり、やがて自分のことも数字でしかみられなくなっていることに気がつき、陸上をやめることにした。進藤は若いのにもう気がつけてすごいと思った。

ケケケとは、あまねの母親の笑い声で、ご機嫌な感じがしていいと、あまねのお気に入り。ドラマの冒頭ではあまねと母親はうまくいっているように見えたんだけど、母親に彼氏ができて、変化が訪れる。彼氏は自分の作るハンバーグは美味しいからと作ってあまねに食べさせる。それまではあまねが朝食を作っていたが、母親が彼氏からあまねを放っておき過ぎだと叱られたと、母親が作るようになる。食べられるものが限られているあまねは、分かっていても無理して口に運び、吐き出してしまう。あまねの父親も、あまねの感覚過敏なところを直そうと必死になり、でも直るものではないので、それが原因で父親は家を出てしまう。だからあまねは、無理して食べる努力をするのだろう。あまねは母親を響子さんと名前で呼ぶ。それは父親が家を出て行ってしまった原因と関係があるのではと思う。母と娘、親と子ではなく、響子さんとあまねという、対等な関係にあることを意味しているのではないかと思った。母は子どものご飯を作る、という呼称に縛られた関係ではなく。でも、彼氏ができたことでそれが変わり、しかも母親が妊娠していることを知ったあまねは、赤ちゃんの声に耐えられる気がしないと思う。彼氏ができて響子はケケケと笑わなくなった。

あまねは自分が過ごしやすいように主張して行動するので、理解できない先生や生徒会副会長には、厳しく当たられるが、あまねが自分はこういう人間だとさらけ出しているからか、ケケケ同好会には色々な事情を持った人が集まってくる。響子の妊娠がショックで学校を休みがちになったあまねは、母親の介護のために登校できない部員から、介護が終わったので学校に行くとメールをもらう。介護が終わったということは、、、彼女に会うために学校へ行ったあまね。ケケケ同好会に所属していた生徒会長が卒業し、あまねを目の敵にしていた副会長が会長になったことで、ケケケ同好会はなくなってしまう。生徒会長になれば部活強制の校則を変えられるかもしれないと、あまねは部活強制の校則廃止を公約に生徒会長に立候補する。

あまねの行動力に感心する。逆に言えば、そこまでしないとあまねの居場所はないということなんだよね。さらに逆を言えば、そうしなくても自分には居場所があった。居場所を作ること、その場を継続することの大変さを何も知らないで、ただただ享受していたということ。元副会長は進藤と同じ陸上部で活躍していたが、膝を痛めて引退。努力家の彼女には、それは悔しいことで、ケケケ同好会のような何もしなくてもいい集まりがあると、才能のある人までが怠けるようになると反対する。あまねが努力していないのかと言えば、全然しているし、じゃあ努力しないとだめかといったら、努力は出来た方がいいに決まっている。それはそう。元副会長があの人は努力してない怠けていると相手を責めたくなるのは、自分の問題なんだよね。

この脚本を書いた森野マッシュさんは、「VRおじさんの初恋」も書いている。夜ドラ見ているけど、今のところそこまでおもしろいと思えない。これからくるか?

休めないし変えられないしやり直せないなら、失敗してからの人生が長すぎる。覚悟が足りない、努力が足りない。ええ、きっとそうなんでしょう。そういわれるのが分かっているから誰にも相談できないし、そうと分かっていても覚悟は持てないし、努力は出来ない。わかってるわかってる、いつかこの時を後悔する日が来ることは分かっている。なさけないはずかしいみっともないこんなはずじゃなかったわたしがこんなめにあういみがわからない。いや、意味なんかない。意味がなかったらなんなんだろう。意味がなかったら、私がこんなめにあっているというだけのこと。休みたい。早く休みにならないかな。金曜有休だから3連休。努力ができない自分を肯定できないみたい。